「あの……ヒョウガは、なぜ、エティオピアにいらしてくださったんですか。北の国の王家には、ヒョウガより年長の王族の方々が多くいると聞いてます。こんなに若くて綺麗な人がなぜ……って、最初にヒョウガを見た時、僕、すごく驚いたんですよ」
途切れた会話の木に、シュンが別の枝をぐ。
「北の国からエティオピアまでは遠い。若く頑健な身体を持つ者でないと、辿り着けないじゃないか」
シュンは暗に、若い男の経験の少なさに感じる不安を訴えているのかと思い、ヒョウガは自分より若い王子に皮肉な答えを返した。

椅子に腰をおろすこともせず、殊勝に“大切な客人”の前に立ち続けていたシュンが、ヒョウガの皮肉を皮肉と受けとめず、素直に口許をほころばせる。
その様を見て、自分の考えが卑屈な人間の勘繰りにすぎないことに気付かされたヒョウガは、シュンに対する侮辱と非礼の代わりに、彼がこの国にやってきた事情を正直に打ち明けなければならないような気にさせられてしまったのだった。

「あってはならない恋から生まれて、俺は長いこと、北の国の王族として認めてもらうことができず冷遇されていたんだ。たまたま正統の王族より出来がよかったから、王家の持ち駒の一つとして遇してもらえるようになったが、どこかで俺は王家の異分子と思われているらしく、重要な案件は任せてもらえない。この仕事は、エティオピアまで旅のできる体力のある者にしかできない仕事だ。俺は、若さを盾にして、この役目を強引に奪い取ってきたんだ」
他国の者に知らせる必要のない――むしろ知らせない方がいい内々の事情を、なぜ自分は初対面も同様の異国の王子に語っているのだろうと、ヒョウガは自分自身を訝っていた。

「俺は実績をあげなければならない。一族の者に、確たる功績を見せつけてやらなければならないんだ。エティオピアのこの問題の解決は、国民の食料の7割をエティオピアからの輸入品に頼っている北の国の命を保つことになるし、南の大国に恩を売ることができれば、それはこれからの国交の上で北の国に有利に働くだろう。もちろん、俺自身の評価もあがる。そうすれば、父の名誉を回復し、北の国の王を殺したと言われている母の汚名を晴らすことができるかもしれない。俺は、エティオピアの民のためでもなく、故国の利益のためでもなく、俺自身の望みを叶えるために、この国に来たんだ」

おそらく裏で何も考えていないようなシュンの様子が、自分にそんな無益なことをさせているのだ――と思う。
シュンの素直さが、対峙する人間に率直かつ正直になることを強要しているのだ。

北の国の王家の人間が策を弄して人に本音を吐かせるのと同じことを、シュンは全く無意識のままでやりとげてしまう。
これが正統な王族の力だというのなら、北の国の王族の採る手法は、いかにも成り上がり者のやり方だった。

“素直な”シュンは、あってはならぬ恋から生まれた哀れな男の卑屈な野望を、素直に――かなり好意的に――受け止めたらしい。
その瞳は見る見るうちに潤んでいった。

「ヒョウガのお母様は綺麗な方なの?」
「もう死んだ。10年以上前に」
自分は、死んだ人間の汚名を晴らそうとしている。
それは、北の王家の者が最も軽蔑する行為だった。それは“感傷”であり、すなわち、“無意味なこと”なのだ。

そんなものに囚われているから、自分は北の王家の出来損ないなのだと、ヒョウガは自覚していた。
自覚しているからこそ、これまで一度も人に話したことはない。
それをヒョウガに語らせてしまったエティオピアの若い王子は、なぜかひどく うっとりしたような表情でヒョウガの言を否定した。

「自分のためじゃないでしょう」
そして、まっすぐにヒョウガの瞳を見詰めてくる。
「ヒョウガは、お母様をとても愛してたんだね。きっと素晴らしい女性だったんでしょう。我が身に死を招くかもしれないということがわかっていても、恋せずにはいられないような」

「……」
シュンの言葉は、ヒョウガの胸に驚きを運んできた。
その驚きが、さほどの間を置かずに、甘い快さに変わる。
それは、ヒョウガには、自分を正統な王家の一員と認めてもらうことより はるかに嬉しい言葉だったのだ。
売女とまで言われ、有能な王を堕落させ殺した女と蔑まれ、貶められていた美しい女性。
彼女の罪は、王に愛されたこと、そして、王を愛したこと。
だが、それは本当に罪なのかと、ヒョウガはいつも彼の前に立ちはだかる目には見えない壁に向かって叫び問いかけていた。
他人に問いかけることはできなかった。
北の国の人間に問えば、問うた人間が嘲笑されることがわかっていたから。

「そんなことを言われたのは初めてだ」
この明るく暖かな南の国では、それはおそらく罪ではない。
少なくともシュンは、ヒョウガの両親の結びつきを美しいものと考えているようだった。
「父も母もこの国に生まれていれば、幸福になれたのかもしれないな……」
呟くようにそう言ってから、ヒョウガはそんな言葉を口にした自分自身に舌打ちをしたのである。

過去における仮定を夢想すること――それもまた、北の王家では軽蔑される行為の一つだった。
暖かい国にやってきて、自分は頭のネジが緩んでいるのではないかと疑い、ヒョウガは自身を叱咤した。
その行為が軽蔑されることであるのは当然である。
それは無意味なことなのだ。
「だが、俺の父母が北の国に生まれ、俺が北の国の王家の血を受け継いでいるのは、紛れもない事実だ。人は与えられた環境の中で最大限の努力をするしかない」
現在と現実とを見なければ――過去を見ていても――人は幸福にはなれないのだから。

ヒョウガとヒョウガの両親に同情するような態度を見せていたシュンが、ヒョウガのその言葉に頷く。
「そうですね。わかります」
ためらいのないシュンの返答が、ひどくヒョウガの癇に障った。

シュンは大国エティオピアの、名実共に認められた王子である。
若く美しく、卑屈になりようもない境遇に生まれ育ち、それゆえ自然に素直な心を持っている――努力せずに素直でいられる。
『与えられた環境』が恵まれた環境である人間に、ヒョウガは気軽に同調などされたくなかった。

「苦労知らずの のんきな王子様に何がわかるというんだ」
「僕、父の顔も母の顔も知らないの。母は僕を産んですぐ、父はそれ以前に亡くなっていたので」
誰にでも簡単に同意し、同情し、そうして この幸福な王子は容易に人に愛され、認められ、だからこそ自らも人を愛することができるのだ――。
そう思い、苛立ち始めていたヒョウガに、シュンが ごくあっさりした様子で言う。
「思い出がないと、亡くなった人たちが 生きている者たちにどんなことを望んでいたのかもわからない。何もできない。何もしてあげられない。僕は、お母様のためにできることがあるヒョウガが羨ましい――」

「……」
素直に――本当に羨ましそうな目をして、シュンはヒョウガにそう告げた。
その目に出合うことで、ヒョウガは、自分は不運な人間だから 拗ねる権利と傲慢になる資格があると思い込んでいた自分自身を自覚させられることになってしまったのである。
ヒョウガは、シュンの“不運”な生い立ちを知らされることで、シュンに自分の唯一の取りえを奪われたような気になった。
誰よりも不運で不遇である特権――それは傲慢な思い込みにすぎないのだが――、その特権を振りかざしていた自分に気付かされてしまったのである。

言葉を失ったヒョウガに、シュンが遠慮がちに訴えてくる。
「あの……エティオピアの民は、決してちゃらんぽらんなんかじゃないの。恋をしているから怠け者だったり いい加減だったりはしないの。誰だって、好きな人の前では、良い人間でいたいでしょう? 冷静ではないかもしれないけど、みんな一生懸命なの。それは北の国の人たちと同じだと思うから……誤解しないでくださいね」

ヒョウガの傲慢を責めることなど思いもよらないような様子で自国の民の弁護をするシュンに、ヒョウガはなぜかみじめさを覚えていた。
真の王族とは、気負うことなく自然に民を愛せる者のことを言うのかと、ヒョウガは思ったのである。
ヒョウガは己れの国の民に愛情を感じたことは一度もなかった。
かといって、ヒュペルボレオイの王家の者たちのように、合理性だけで民の暮らしの向上を考えることもできない。

北の国の王宮では異分子で、この南の国には最もそぐわない人間。
では、自分はどこに帰ればいいのかと、どこに居場所があるのかと、ヒョウガは不幸な自分自身に尋ねずにはいられなかった。






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