瞬と氷河が聖域の前に立つことになった その日、そこには天馬座の聖闘士と龍座の聖闘士の姿があった。 「星矢! 紫龍!」 瞬が仲間たちの名を呼ぶと、 「瞬! 氷河!」 同じように仲間の名を呼ぶ懐かしい声が返ってくる。 星矢はここに来る途中、ほんの数分前に、ちょうど中国からギリシャにやってきたばかりの紫龍と出くわしたのだそうだった。 失われていた記憶を取り戻したアテナの聖闘士たちは、偶然なのか必然なのか、全く同じ日に聖域に集うことになったのである。 「兄さんは……」 ただ一人欠けている仲間の所在を気にかける瞬に、星矢は一瞬の躊躇もなく あっけらかんと断言した。 「おまえが戻ってきたんなら、一輝も戻ってきたようなもんじゃん」 「確かに」 紫龍が星矢に賛同し、彼等の意見を否定できない氷河が渋い顔になる。 瞬は、もちろん仲間たちの断言に気を安んじたのだった。 微笑んで、瞬は星矢に尋ねた。 「そういえば、星矢はいつ思い出したの? どうして思い出したの?」 「んー。しいて言うなら、メシが不味かったからだな」 「ご飯?」 瞬に問い返された星矢が、力一杯頷いてみせる。 それから星矢は、気負い込んだ様子で、彼が記憶を取り戻すに至った経緯を、仲間たちに語り始めた。 「ここいらへん、観光客相手のならず者が多くて、俺、日本からの観光客のガイド兼ボディガードのバイトしてたんだよな。でも、そーゆー ならず者たちって、情けねーくらい弱っちいんだよ! 手応えなくてつまんなくてさ。もっと強い奴と思いっきりやり合って、そんで腹ぺこになって食うメシはうまいだろーなーとか思ったら、俺、昔は死ぬほどうまいメシを食ってたことを思い出したんだ。人生最大の喜びは、やっぱメシがうまいことだよな、うん」 「……」 これでは、氷河の記憶の取り戻し方をあまり糾弾することはできない――かもしれない。 氷河同様 人間の三大欲求に忠実な星矢の言に思わず肩をすくめ、瞬は今度は紫龍に向き直った。 「俺は……まあ、五老峰で畑を耕して暮らしていたんだが、数日前誤ってミミズを殺してしまったんだ。ミミズと言えば、植物の生育に適した団粒構造の形成に大きな役割を果たす益虫だ。つまり、あの生き物は、俺と同じ場所で同じ仕事に従事していた同志ということになる。なぜ人間は、同じ目的を持った同志をも傷付けてしまうのかと、矛盾と無常観を感じ瞑想しているうちに思い出した」 「“矛盾”でか?」 氷河が皮肉げな横目で、龍座の聖闘士を見やる。 もちろん氷河は、ギャラクシアン・ウォーズで、紫龍が星矢にドラゴンの最強の盾と最強の拳の矛盾を突かれて破れたことを揶揄したのである。 紫龍は真顔で氷河に告げた。 「貴様は、今、俺の逆鱗に触れたぞ」 「せ……星矢も紫龍も、らしい思い出し方だね」 作ったものなのか本気なのかわからない二人の仲間の険悪さを、瞬は慌てて執り成すことになった。 そんな瞬と氷河に、星矢がしてはならない質問を投げかけてくる。 「おまえらは? なんで思い出したんだ?」 「俺か? 俺は瞬と寝――」 「わああああっ !! 」 「な……なんだよ、急に」 突然辺りに大声を響かせた瞬に驚いて、星矢は大きく瞳を見開いた。 だが、問われて説明できることなら、瞬とて奇声をあげて ごまかしたりなどしないのである。 瞬は口止めのために氷河を睨みつけてから、小さく嘆息し、思わず視線をあらぬ方へと泳がせた。 その弾みに、瞬の視界にアテナ神殿の一角が入ってくる。 彼方に見えるアテナ神殿を見上げた途端、瞬はふいに もどかしい不安に襲われてしまったのだった。 こうなった事情はどうあれ、自分たちは一度は戦場から離脱した聖闘士たちなのだ。 「沙織さん、僕たちをもう一度アテナの聖闘士として迎え入れてくれるかな……」 「どうかなぁ……。なにしろ、俺たちに、フツーのオトコノコらしい幸せを――なーんて馬鹿なことを考える女神様だからな」 「しかし、俺たちがいないと、アテナは安心して敵に捕まることもできないだろう。つまり、俺たちがいないと、沙織さんはアテナとしての役目が果たせないということになる。大丈夫だ」 あまりに妙な理屈すぎて、紫龍の推察には逆に説得力があった。 瞬の顔に、自然に笑みが浮かんでくる。 「うん、きっと」 「じゃあ、行くか」 アテナの聖闘士たちは互いに頷き合い、再び彼等の戦場に足を踏み入れた。 そこには、闘いと、そして彼等の幸福がある。 聖域に、太陽が沈みかけていた。 Fin.
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