沙織は相変わらず多忙らしく、上機嫌で仕事に戻っていった。 星矢と紫龍は、やっと二人でいられるようになった仲間に気を利かせたのか、沙織の画策に踊らされ続ける我が身を人目のないところで存分に嘆くためにか、どこかに姿を消してしまっていた。 二人きりの部屋で、氷河は改めて瞬に尋ねてみたのである。 「結局、おまえは俺の顔が好きだったのか?」 ――と。 「顔も好きだよ」 氷河が問うたことに、瞬は今日は一瞬の迷いも見せずに答えてきた。 その答えを聞いた氷河の方が、喜ぶべきなのか嘆くべきなのかの判断に迷った表情になる。 瞬は、そんな氷河に 少し からかいの色の混じった笑みを向けた。 「カッコつけて お澄まししてる時の顔じゃなくて、闘っている時の傷だらけの顔。あれは、氷河が氷河だから作れる顔で――。僕は、顔の造作じゃなく、氷河の表情が好きなんだと思う。それは氷河の心が作るものだから」 「表情、ね」 氷河は、瞬に、本当の答えをはぐらかされたような気になったのである。 瞬は、白鳥氏が“氷河”の顔で作る表情にも、「氷河に似ていて可愛い」などと、ふざけたことを言っていたではないか。 「はぐらかされてるって思った?」 瞬が、憮然となった氷河の顔を覗き込んでくる。 「あ、いや」 氷河は軽く左右に首を振った。 苦労の末にやっと取り戻すことのできた瞬の機嫌を損ねたくはなかったし、くだらないことで瞬にへそを曲げられてしまうのも本意ではない。 「嘘ついてもだめ。氷河は顔に出るんだから」 演技力には自信があったのに、その実力も、自分が思っていたほどではなかったのかもしれない。 何につけても、実力に見合わない過剰な自信を持つことはよろしくないと、氷河はその点に関しては虚心に反省した。 瞬が、氷河の胸に手を伸ばしてくる。 「氷河は白鳥さんの身体のままで僕を助けようとしてくれたでしょう? あの時、氷河の身体が元に戻らなかったとしても、そして、氷河が 白鳥さんの姿のまま無様に敵に叩きのめされてしまったとしても、僕は氷河を――白鳥さんの姿をした氷河を選んだと思う。それが僕の氷河だと認めていたと思う」 『だって、それが僕の氷河だから』と、繰り返すように告げて、瞬は笑った。 「一緒に闘ってくれる氷河が好きだよ。僕と氷河は同じ目的を求め見詰めて、同じ未来を求め見詰めている。だから僕たちは一緒に歩いていけるんだ。それが、僕の好きになった氷河だよ」 「俺は――」 氷河は、自分が、瞬の見詰めている場所を見詰めているつもりはなかった。 瞬の見詰めている場所――そこには、おそらく、高い理想と美しい夢があるに違いない。 だが氷河は、そんな理想や未来ではなく瞬だけを見詰めていた――自分ではそのつもりだった。 自分がもし本当に瞬と同じ方向を見詰めているのだとしたら、それは瞬の目を通して見詰めているのだと思う。 そんな“氷河”の心に気付いているのかいないのか、瞬は――瞬も――今は“氷河”だけを見詰めてくれていた。 結局、瞬が選んだものは何だったのだろう? ――と、氷河は再び思ったのである。 瞬は、自分が選んだものは“氷河”の肉体ではなく心の方だと言いたげだが、それなら瞬は最初から迷わなかったはずである。 瞬は残念ながら面食いではないし、外見の美醜の向こう側にあるものを見抜く力も持っている。 それでも瞬は迷い躊躇したのだ。 “氷河”の心だけを選びとることを。 氷河の 瞬はもう一度、自分が迷った末に辿り着いた答えを口にした。 「僕が選んだのは氷河だよ」 「……」 そう告げる瞬の瞳は、“氷河”の姿と表情と瞳とを写し取っている。 氷河はそれで、瞬の言わんとするところが、ぼんやりとではあったが わかったような気がしたのである。 おそらく、瞬の言う『氷河』は、アテナの聖闘士であり続けようとする氷河なのだ。 同じものを求め、同じもののために闘い続けようとする仲間にして同志。 実際に闘うことができなかったとしても、闘おうとする意思を持つ存在。 だから、できれば肉体も強靭な方がいい。 それが瞬の求める『氷河』なのだ。 では自分は いつまでも そういうものであり続けよう――と、氷河は思ったのである。 氷河が自分自身に求める『氷河』は、『瞬に求められ続ける氷河』だったから。 Fin.
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