『僕と一緒に死んで』 そう告げたのは、紛れもなく瞬の声と瞬の意思だった。 告げられた時、氷河は正直、身震いするほどの陶酔感を覚えたのである。 共に死ぬことを、瞬は、白鳥座の聖闘士に求めているのだ。 兄でもなく、仲間 瞬と共に死ぬ――これほど幸福な命の終わらせ方があるだろうか。 ほとんど夢見心地になりかけた氷河は、だが、すぐに醒めた心を取り戻してしまったのだった。 恋をすると、人は疑り深くなる。 まして、恋の相手が瞬なのでは、氷河は常の恋する男より強い猜疑心を抱かないわけにはいかなかった。 (瞬。俺を騙すつもりじゃないだろうな。そんな甘い言葉で俺を利用するだけ利用して、おまえはおまえ一人で勝手に死ぬつもりなんじゃないのか? 俺はごめんだぞ、おまえのいない世界で、自分だけ無傷で生き延びるなんてのは) 氷河の疑念に、瞬は甘い言葉を囁き続けた。 『僕……僕だってわかるよ。もしハーデスに身体を乗っ取られたのが僕でなくて氷河だったとして、 そんな氷河を、地上の人たちのためっていう大義名分で僕が倒したとしたら、僕が自分ひとり生き残っていられないことくらい』 瞬の計画が成った時の氷河の立場と心を、瞬はちゃんとわかっているらしい。 それでも、氷河は瞬に念を押した。 (本当に俺も殺してくれるな? 俺を残して、おまえだけ死んだりはしないな?) 『うん』 (いいだろう。この身体、おまえにくれてやる。ハーデスを救うためだろうが、一輝を殴り倒すためだろうが、おまえの好きに使え) 氷河は、今は瞬の言葉を信じるしかなかった。 ハーデスが瞬の身体を我が物として、それだけで満足するはずがない。 これまでアテナの聖闘士たちが対峙してきた神々が皆そうだったように、彼も地上を滅ぼすための画策をしていることは確実である。 アテナの聖闘士の一人として、氷河はその企みを阻止しなければならなかった。 何より瞬のために、一輝に死なれてしまっては困る。 氷河には――瞬だけではなく氷河にも――多くの時間は与えられていなかった。 瞬の甘い言葉の裏を探っている時間はない。 『氷河、ありがとう!』 もし側にいたら首にしがみついてきてくれていただろうにと、氷河が残念に思うほど、恋人との心中を決意した瞬の声は明るく力強いものだった。 瞬の声が明るすぎることに、その時、氷河は微かに嫌な予感を覚えたのである。 しかし、彼は既に瞬に『諾』の返事を与えてしまっていた。 「氷河。静かになったな。文句を言うのにやっと飽きたか」 氷河が その周辺に漂わせていた空気から苛立ちが薄れたことに気付いた紫龍が、その変化の訳を探るように、同行者に尋ねてくる。 「紫龍」 氷河から彼の身体の支配権を譲り受けた瞬は、ゆっくりと氷河の身体を自分の意思で動かす試みを開始した。 「冥界がどれほど広いといっても、無限ではないはずだ。きっともうすぐ瞬にも会える。あとどれくらいあるのかはわからんが、俺たちが瞬にいるところに近付いているのは確かだ」 それまで 氷河の意思というよりは慣性の法則によって死者の国を駆け続けているようだった氷河の足を止めることに、瞬は成功した。 「うん。このまま行けば辿り着く。紫龍がそこに着く前に、僕がすべてを終わらせておくね」 「? おまえ、なんだ、その瞬みたいな喋り方は」 氷河が、瞬の気配のある場所に近付くために走り続ける行為を中断したことと、到底氷河らしいとは言い難い 穏やかな物言いを怪訝に思い、紫龍は――紫龍もまた――その足を止めた。 そして、後ろを振り返る。 退屈な地獄の道行きを、つい先ほどまで不満を垂れ流しつつ耐えていた白鳥座の聖闘士の姿は、その時には既にその場から消えてしまっていた。 |