外に出るたびに求人票が降ってくる事態に、氷河は心底うんざりしているらしい。
自分の都合しか考えていないような氷河の言い草に、紫龍は呆れたような顔になった。
「人材派遣会社に、紹介依頼でも出しておくか?」
もちろんそれは嫌味であり、皮肉であり、いわゆる反語法を用いた表現でもあったのだが、紫龍の言葉を間に受けた星矢は、思い切り その顔を歪めることになったのである。
「そんな都合のいいオンナがいるわけがな――」

言いかけた言葉を、星矢が途切らせる。
彼の視線は、アテナの聖闘士たちが集合している応接セットの端で顔を俯かせているアンドロメダ座の聖闘士の上に注がれていた。
「いないこともないか……。な、瞬」
突然名を呼ばれた瞬は、なぜここで自分にご指名がかかるのかがわからない様子で、ゆっくりと顔をあげた。
そうして、これから遠足に出掛ける幼稚園児のように意気込み、瞳を輝かせている星矢の瞳に出合う。
星矢の意図がわからず、瞬は彼のその様子に少々たじろいだのである。

「な……なに?」
「都合のいいオンナ――じゃなく、いるじゃないか、うってつけの人材が」
「え?」
「なるほど」
星矢の考えに気付いたらしい紫龍が、おもむろに頷く。
当の瞬自身は、彼等二人がいったい何をわかりあっているのか、まるでわからずにいた。
察しの悪い瞬にじれたような顔をして、星矢が彼の名案を披露する。
「瞬、おまえ、氷河の彼女の振りしてやれよ」

これほど手軽で金と手間のかからない解決法は他にあるまいと言わんばかりに、星矢は自分が思いついたアイデアに満悦しているようだった。
瞬の反応を見もせずに、星矢が氷河に水を向ける。
「どうだ? 瞬なら、おまえとケッコンしてくれなんて馬鹿なことは言い出さないし、おまえを束縛もしないし、おまえが死んでも泣かない!」
きっぱりと断言してから、彼はふと思いついたように訂正を入れた。
「泣くかもしれないけど、その覚悟は常にできてる」

「言われてみれば、確かに――」
氷河本人までが、星矢の提案に異を唱える素振りを見せないことに、瞬はますます混乱することになったのである。
何はさておき、『彼女』というのは、一般的には女性に用いる人称代名詞、この場合は女性のみが務めることのできる役職を指すもののはずである。
そもそも瞬は、その仕事に就く資格を有していなかった。

だが、氷河は太っ腹にも、資格不要・経験不問の好条件での雇用を考えているらしい。
彼は3人掛けのソファの端に座っていた瞬の正面に移動して、真顔で瞬に言い募ってきたのである。
「瞬、俺の彼女になってくれ!」
「ばっ……馬鹿なこと言わないでくれる? 僕はこれでも――」

得難い人材を逃さないために、瞬の雇用主志望者は、瞬にものを言わせなかった。
瞬の言葉を遮り、たたみかけるように己れの窮状を瞬に訴える。
「おまえの協力が得られないと、俺は向こう20年間、無責任な奴等にホストになれだのツバメになれだのと言われ続けることになるんだ。頼む!」
「でも、僕はね!」
「おまえは、俺の彼女の振りをするのがそんなに嫌なのか……」

平生はちょっとした表情を作ることも面倒くさがる男の顔の部品が、どういうわけか今に限っては やたらと活動的だった。
瞬の前で、わざとらしいほどの落胆の表情を作り、がっくりと両の肩を落としてみせる。
そして、瞬は、困っている人を冷酷に見捨てることのできない人間だったのである。
「ぜ……絶対に嫌ってわけじゃないけど……」
氷河に落胆の様を見せつけられた瞬は、つい反射的に そう言ってしまっていた。
氷河が、瞬のその言葉に ぱっと瞳を輝かせる。

「おまえなら、窮地に立たされている仲間を見捨てるようなことはしないと信じていたぞ! 助かった! 人材派遣会社に頼るのも一つの手かもしれないが、そう簡単に俺の希望に適う人材がいるとも思えんしな。やはり、おまえレベルでないと、俺の美貌には釣り合わないだろう」
氷河が、彼の求人に応えてくれた人間を褒めているのか、あるいは単に自信過剰なだけなのか、そして、彼の要請はジョークなのか本気なのか――瞬には氷河の真意が今ひとつ わからなかったのである。

ただ、氷河はそう頻繁に外出する人間ではないという事実と、ここで氷河の要請を拒絶して、彼が他から調達してきた“彼女”といる様を見ることになるのは あまり愉快なことではないだろうという思いと、何より その場の流れに逆らえず、瞬は氷河の要請を受けることにしたのだった。






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