盗み聞きをしようとしなくても、開け放たれたラウンジのドアの向こう側とこちら側とで交わされていた氷河と瞬の会話は、星矢と紫龍に筒抜けだった。 「瞬、あのさ、まずいだろ、今の対応は」 氷河と入れ替わりにラウンジに入ってきた瞬に、星矢は渋い顔を向けた。 瞬の真意がわからないので、自ら貧乏クジを引こうとしている瞬を咎めていいのかどうかを迷い、口調もその通りのものになる。 そんな星矢に、瞬はほとんど涙声で反駁してきた。 「じゃあ、どう言えばいいの! 氷河は、氷河に約束を求めず、氷河を束縛せず、氷河が出掛ける時だけ隣りにいる人が欲しいんでしょ。それしか欲しくないんでしょ。僕が氷河の側にいようと思ったら、そういう振りを続けるしかないじゃない……!」 「いや、だからさー」 それはそうである。 表向きは確かにそういうことになっている。 だが、事実はそうではない。 氷河は瞬に“振り”など求めておらず、瞬もまた そんなものでいたいと心から望んでいるわけではない。 本来、氷河と瞬は、振りや代わりを演じる必要などない二人なのだ。 「振りなんて言い出した奴が悪い。あの二人は、最初から正々堂々と正面から好きだって告白するべきだったんだ!」 傷心と憔悴の色を全身ににじませて 瞬がラウンジを出ていくと、この落ち着かない事態に憤慨した星矢は、当人二人のいない部屋に苛立った声を響かせることになった。 紫龍が、そんな星矢に、おもむろに深く頷く。 「全く同感だが、最初に瞬に 氷河の彼女の振りをしろと言い出したのは、おまえだ、星矢」 「へ? そうだったっけ?」 星矢は、無責任にも、この事態の元凶が自分であることを すっかり忘れていた。 そして、その事実を思い出しても、彼はすべての非が自分にあると思ってしまうことができなかった。 「でも、こんなふうになるとは思わなかったんだよ。好き合ってる二人が恋人同士の振りをしてたら、そのうち振りが本当になるって思うだろ、普通」 星矢は、どうにもそこのところが得心できなかった。 「てゆーかさ、なんで気付かないんだよ。氷河が瞬を好きで、瞬が氷河を好きなことくらい、見てりゃ わかるだろ。俺にだってわかったんだぜ? なんであの二人にわかんないんだよ」 星矢の苛立ちと疑念は至極尤もである。 紫龍も、その気持ちは星矢と同じだった。 しかし、恋という熱病に身を浸したことのない星矢は、その病気がいかに厄介なものであるのかを知らないでいる――ということも、紫龍には わかっていたのである。 「あの二人は、自分が惚れた相手をちゃんと見ていないんだ。氷河は、瞬を好きな自分しか見ていないし、瞬は氷河を好きな自分しか見ていない。二人共、この手のことに関しては初心者だし、要するにあの二人は、今は、自分の気持ちが相手に通じるかどうかということしか考えていないんだな」 「へ?」 「恋に限ったことでもないだろうが、人間関係というものには、自分の気持ちではなく、相手の気持ちを考えた時に初めて見えてくるものというのがあるだろう。だが、あの二人は自分の気持ちにしか意識が向いていないんだ。自分が恋している相手を見ていない。『おまえらは実は好き合っているんだ』と教えてやったとしても、今のあの二人は、それがどういうことなのかすら理解できないかもしれないぞ。あの二人は、使い古された言葉を用いて言うなら、つまり、恋に恋している自分に夢中になっている状態なんだ」 「ぜんぜん わかんねー」 星矢は本当に、紫龍の言う言葉の意味がわからなかった。 恋というものは、一部のナルシストを除いて、恋の対象となる相手がいるからこそ成り立つ現象のはずである。 その相手を見ずに、どうやって人は恋をすることができるのだろう。 星矢には、そこのところが、どうしても理解できなかった。 が、氷河と瞬の仲がこんなふうに こじれ、“落ち着かなく”なってしまった責任の一端が自分にあることだけは、星矢にもわかっていたのである。 自分が発端となって起きてしまった混乱を“落ち着かせる”ために、自分が動かなければならないことだけは、星矢にもわかっていた。 |