彼が変わったのは、ヒョウガが8歳、シュンが7歳で迎えた春。
ヒョウガの母を熱愛していたヒョウガの父は再婚など考えもせず、ヒョウガはその素行に少々の問題はあったが身体も健康そのもので、その頃には、王国の誰もが、何らかの事故が起きさえしなければ、ヘレネス国の次期国王の座にはまず間違いなくヒョウガが就くことになるだろうと考えるようになっていた。

ある日、使節団を引き連れた外国の親善大使の表敬訪問があり、その大使からヘレネスの次期国王であるヒョウガに贈り物を直接手渡したいという希望が出されたために、ヒョウガは珍しく公式の場にヘレネス国の王太子として臨席していた。
ヒョウガに贈られたものは、東方で作られたという宝石で飾られた短剣で、それは、乱暴なことが大好きなヒョウガに大いに喜ばれた。
ヒョウガは、自分のものになった宝剣を、彼の傍らに控えていたシュンに得意げに手渡し、それを見たシュンは、
「綺麗」
と一言、小さな声で呟いた。
途端に、ヒョウガにその剣を手渡した大使が、不愉快そうに眉をひそめる。

「これが例のメスラムの戦場で拾ってきた みなしごですか。暴戻の限りを尽くし、周辺の国々の侵略を図った野蛮な国の子供。それが、堂々とヘレネスの王族の側に控え、公式の国賓接遇の場に同席するとは不愉快この上ない。このような不吉な子供、さっさと殺してしまえばいいものを、ヘレネスの王もお心が広いというか酔狂というか……。この悪魔の子供が 大切なお世継ぎに悪い影響を与えられでもしたら、王はどうなさるおつもりなのか」

言葉の上ではヒョウガの身を案じていたが、その実、シュンを蔑むことだけが目的だったらしい大使は、ヒョウガからシュンに手渡された剣を奪い取り、それを再びヒョウガの手に戻した。
その振舞いに、ヒョウガはいったい何が起こったのかわからないという顔になり、シュンは、一直線に自分に向けられる激しい敵意にただただ呆然とすることになってしまったのである。

実の兄弟のように育てられはしたが、自分とヒョウガが兄弟ではないことは――それどころか血の繋がりすらないことは――シュンとて知っていた。
両親の記憶はなかったが、物心ついたばかりの頃、この城に連れてこられ、初めてヒョウガに引き合わされた時の戸惑いを、シュンははっきりと憶えていたのだ。
陽光のように明るい金髪と夏の空のように真っ青な瞳。
その時シュンは、ヒョウガは自分とは違う生き物だと思い、ほとんど憧憬に近い思いをすら抱いたのである。
しかし、僅か4歳だったシュンは、その時にはまだ『身分』という概念をすら持っていなかった。

二人がいつも行動を共にするようになって2年以上の時が流れていたが、ヒョウガはまだ子供で、格式ばった公式行事に参列することも滅多になく、まして平生は王子というよりガキ大将。
その行動力と大胆と(悪戯の)発想の奇抜さに圧倒されることはあったが、これまでシュンはヒョウガと自分の身分の違いというものを全く意識したことがなかったのである。

ヘレネスに並ぶ強国から派遣された大使は、その国の国王の親戚に当たる王族で、国内外で相当の発言力を有する人物だった。
彼の機嫌を損ねることを危惧したヘレネス国の接待役の指示で、シュンは接遇の場から外に連れ出されてしまったのだった。

接遇の場を途中で抜け出してきたヒョウガが、シュンの姿を捜しあてた時、シュンは王宮の庭のユキヤナギの花の陰に隠れるように膝を抱え込んで小さく丸くなっていた。
無数の小さな白い花をつけた枝をかき分けて シュンの側にやってきたヒョウガは、シュンの前に片膝をついて、この国の王子に贈られた宝剣を、シュンにやると言って差し出したのである。

「いらない」
シュンは、ヒョウガに差し出されたものを払いのけた。
「そんなの、いらない。僕は、みんなを苦しめた悪い国の子供で、早く殺されちゃった方がいいんだ。きっとみんな、本当は僕のこと嫌ってるんだ」
これまで、シュンの周りにいる者たちは、誰もがシュンに優しかった。
腕白王子の悪戯に付き合わされるシュンに同情的で、そんなシュンを褒めてくれる者さえいた。
人々の親切の中で暮らしていたからこそ、シュンは、突然自分にぶつけられてきた敵意を帯びた感情に、これ以上ないほどの衝撃と驚きを覚えたのである。

そんなシュンの髪に、ヒョウガが、彼らしくなく気遣わしげな仕草で触れてくる。
「そんなことはない。シュンは可愛いし、優しいし――」
いつでも、ヒョウガはそう思っていたのだ。
ヒョウガ自身、シュンを悪く言う人間に出会ったのは、これが初めてだった。

「母上が生きてた頃、悪戯の報告もいいけど、花を摘んで持っていけば、母上はもっと喜んでくれるよって、おまえ言ってくれただろ。その通りにしたら、母上はすごく喜んでくれて、俺はすごく嬉しかった。シュンが考えたんだって言ったら、母上は、シュンは本当に優しい子だって言ってた。みんな、そう思ってる」
「でも、さっさとコロシテしまえばいいって、あの人が……」

『殺される』ということがどんなことなのか、実はシュンはよくわかっていなかった。
それはとても恐ろしいことなのだろうと想像することができるだけだった。
そして、それだけで、シュンは十分に恐れおののくことができたのである。
小さく肩を震わせているシュンを、ヒョウガが両手で抱きしめる。

「もう誰にもあんなことは言わせないから、そんなこと言うな」
「でも……でも、僕、コロサレちゃうかもしれない。僕、コロサレるの、恐いよ……!」
「そんなこと、絶対 誰にもさせるもんか……! 大丈夫。シュンは俺が必ず守るから」
ぽろぽろと涙をこぼして すがってくるシュンの髪に唇を押しつけて、ヒョウガはシュンを抱きしめる腕に力を込めた。






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