シュンは、ヒョウガを失いたくなかった。
幼い頃から、これまでずっとそうだったように、ヒョウガには自分だけを見ていてほしかった。
闇の言葉に従い、彼を自分だけのものにしたかった。
それは、この上なく甘く、抗うことの難しい誘惑だった。

ヒョウガではなく自分が王になり、王としての つらい決断はすべて自分が為すようになれば、ヒョウガに無理を強いることもしなくて済む。
王としての責任をヒョウガに求める必要はなくなり、自分はヒョウガに優しく接するだけの人間になることができるのだ――。

闇は、シュンに、甘い夢ばかりを運んでくる。
しかし、世界はいつまでも闇にだけ包まれてはいない。
やがて朝が訪れて、シュンは、明るい光の中で、世界を見るための別の視点に気付かされることになった。

今、この国は平和なのである。
メスラムの先の王が抱いていたという理想の通りではないかもしれないが、それなりに穏やかで、それなりに美しく、それなりに幸福な民が、この国では懸命に日々の生活を営んでいる。
この“それなりの”平和を保つために、ヒョウガの父がいかに腐心しているのかも、シュンは知っていた。
ヒョウガとアスガルドの王女の婚約も、この“それなりの”平和を維持するために熟考した王の決断であったに違いない。

完璧な平和、完璧な美しさ、完璧な幸福を夢見ること、完全な理想を追うこと――は、決して悪いことではないだろう。
だが、その理想を実現しようとしたら――醜いものをすべて排斥しようとしたら――いったいどれだけの人間がこの地上に生きてとどまることができるのだろうか。
いったい誰が、そんな世界に生きて存在する権利を有するのだろう。
人は自らの醜さと弱さに耐えて生きているものである。
その理想を実現しようとしたら、その理想の国の王となるべきシュン自身が、まず消えなければならなくなかった。
昨夜、己れの幸福だけを考え、自分勝手な甘い夢に浸っていた者こそが、最初にその命を消し去らなければならない。

ヒョウガは優しく物静かで、なるほど王たる者にふさわしい気概や決断力は持っていないかもしれない。
だが、彼の幸福が何であるのかを決めるのは、それができるのは、彼ひとりだけなのだ。
それを、『こうあるべきだ』と決めつけることは、シュンにもできないことだった。
そして、シュンの幸福が何であるのかを決めることができる人間も、シュンひとりしかいない。

シュンの幸福は――ヒョウガが幸福でいることだった。
その幸福を実現するために、では自分はどうすればいいのか。
その日、シュンは、ヒョウガの許には行かず、自室に閉じこもって考え続けた。
この国の平穏を保ち、ヒョウガにヒョウガの意思でヒョウガの幸福を選び 掴みとってもらい、失われた国の民が命を永らえる方法――を。

ある一つの命が消えることで、それは実現するように、シュンには思われた。






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