「12年前――親父は敵国の王城で一人の子供に出会った。その子供があまりに素直で綺麗な目をしていたから、その子供が冷酷な残虐なメスラムの王の子とは信じられず、自分のしたことは本当に正しかったのかと、父はにわかに迷いを感じることになったのだそうだ。そして、父は おまえの命を奪うことはできなかった。それだけのことだ」
「それだけ……?」
「そう、それだけだ。おまえを利用することも、おまえを生かし続けておく危険も、あの糞親父は全く考慮していなかった。綺麗な目をした子供を殺せなかった。それだけだ」
「僕がいつか陛下を仇として狙うようになるとは考えなかったの」
「そうなっていたら、親父は12年来の迷いを晴らすことができていただろうに」

綺麗な目をした子供は、綺麗な目を汚すことなく成長し、あまつさえ彼を拾った男の息子に愛されて、今も、ヘレネスの王に12年前の戦の決断は正しいものだったのかどうかを迷わせているんだ――と、ヒョウガはシュンに言った。
親父はおそらく一生迷ったままだろう――と。
それも王としての決断を為した者の因果だと言って、ヘレネスの王の息子は笑った。

「アスガルドとの件はまだ内々の話だったし、この話が壊れても姫の傷にはならないだろうから、婚約の話は俺の好きにしていいと言われた。親父亡きあと、アスガルドの援助なしでやっていける自信があるのなら、勝手にしろと。世継ぎを儲ける仕事より、メスラムの残党の一掃の方がよほど民のためになる大仕事だから、メスラムの残党問題を片付け、内乱の勃発を避けることができたなら、あとは俺の好きにしていいと」
「……」

ヒョウガは随分と軽い口調で言ってのけるが、いったい彼には勝算はあるのだろうか。
彼が採るべき方策は、ただ一つ――できれば避けたいただ一つの選択肢しか――シュンには思いつかなかった。
「軍を召集するの」
つまり、武力による制圧――である。

ヒョウガは、だが、まさかと言うように、大仰に肩をすくめてみせた。
シュンから奪い取った剣を脇に放り投げ、シュンの前であぐらをかく。
「メスラムの残党の指導者は三人。相当の野心家のようだ。おまえの父が掲げていた理想なんてものを持ち出して、自分たちの本当の目的をおくびにも出さないあたり、なかなかずる賢い。片付けるのは厄介だ」
「うん……」
「内乱を起こさないために――おまえ、俺に手を貸してくれ。残党の首領格の三人をこの城に――この国の政治機構の中に組み込んでやろう。『ヘレネスを内側から支配していけばいい』とか何とか言いくるめて、説得してくれ。馬鹿王子におねだりをしたら、すぐ聞き入れて、相応の地位を用意してくれたとか何とか、理由はいくらでも作れるだろう。まずこの国で成りあがれと、メスラムの王として奴等に命じろ」

「ヒョウガ……でも……」
「メスラムの残党はそいつらに抑えさせる。メスラムの領土は、今は我が国の領土の一部になっている。無能な王子が王位に就けば、新王を傀儡かいらいにして、ヘレネスの国を乗っ取り支配するも可能だと言え。失われた祖国より更に大きな国を支配できるかもしれないんだ。エサとしては申し分ないだろう。自分をひとかどの男だと自負している奴等は、必ず乗ってくる」

「それは確かに……彼等は相当の野心家で自信家でもあるみたいだったから――」
乗ってくるかもしれない――と、シュンは思った。
そして、彼等は今はまだシュンをメスラムの王として立てている。
その王の命令となれば、本意はどうあれ、従う素振りは見せようとするに違いない。
戦いは嫌だと泣きつけば、彼等はシュンの提案にさほど不審を抱くこともしないだろう。

「そして、俺は今日から、おまえに甘い優柔不断な王子の役をやめて、おまえの身体にとち狂っている色情狂の王子になる。これまで以上に おまえの言いなりになって、おまえのために国益になる婚約話も破棄したとなれば、奴等は、おまえを通じて 俺とこの国を牛耳ることが可能だと信じるだろう。そうして、せいぜいこの国のために、その有能振りを発揮してもらうさ」
「でも、もし――」
「無論、国権を渡すつもりはないし、専横も許さない。逆に、俺とおまえとで奴等を操ってやろう。この国とおまえの祖国を富ませるために。戦いを避けるために」
「ヒョウガ。でも、そんなこと、そう簡単にできるわけが――」

シュンがヒョウガの計画を無謀と言おうとしたのは、その計画が“簡単に”成し遂げられてしまうような気がしてならなかったからだった。
すべてがヒョウガの意図する通りに運ぶような気がしてならないから――シュンはかえって不安だったのである。
「簡単だ。奴等にこの国での地位を与えることで、奴等の牙を折り、平和を保つだけのこと。この国は、おまえの故国の領土を含んで大国だ。野心家たちはそのうち、祖国の復活よりこの国を動かすことの方に魅力を感じるようになる。本当に有能なら、その有能さに見合った地位を与えてやるし、そうなれば、奴等は与えられた地位を守るために更に努めることになるだろう。そしていつかは、奴等も奴等に従う者たちもこの国に溶け込む」

「で……でも、彼等を操るつもりで、逆に彼等にこの国を牛耳られることになったら……」
「俺はそこまで無能でも お人好しでもないんだ、実は。それに、俺にはメスラムの王という協力者がいるからな。ただの野心家に過ぎない奴等は、おまえという旗印なしには何もできない」
「……」

ヒョウガなら、本当にそれをやり遂げてしまうのかもしれない。
本性を露わにしたヒョウガの前で、彼の大胆さと周到さに、シュンは圧倒されていた。






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