この遠い道程のため






「僕たちは闘いたくて闘ってるわけじゃないよね?」
瞬がふいにそんなことを言い出したのは、その日、瞬が“聖闘士として闘い勝っていること”を称賛されるという、実に思いがけない事態に遭遇したためだった。
星の子学園の無邪気な子供たちに、アテナの聖闘士たちが闘っていること、強いこと、生き残っていること――を褒められ、あまつさえ、彼等に憧憬の眼差しを向けられたからだった。
無論、子供たちに悪意のないことはわかっていたので、子供たちの前で暗い顔を見せることはしなかったのだが、それは瞬にとって、決して褒められるようなことではなかったのである。

「勝ちたくて勝っているわけでもないし、敵を倒したくて倒しているわけでもない。僕たちはただ、誰もが平和に暮らせる世界の実現を願ってるだけで、ほんとは闘いたいなんて思ってるわけじゃないし、人を傷付けたくないとも思ってる。なのに、その気持ちを闘いでしか表わせない。聖闘士って、なんだか すごくかわいそうな生きものだよね……」

瞬は、そんな聖闘士の一人である自分自身を哀れんでいるようだった。
そして、彼の“かわいそうな”仲間たちもまた、自分と同じ悲しみに耐えているのだと決めつけて、彼等に いたましげな目を向ける。

「えーっ、俺は悪い奴等をブッ飛ばすの、結構好きだけどなー」
星矢が あえて仲間の発言に異を唱えるようなことを言ったのは、彼が自分を“かわいそうな”存在だと思ったことがなかったから――だったろう。
あるいは、たとえ命を懸けた闘いを共にしてきた仲間によってであれ、勝手に“かわいそうな”ものと決めつけられることに、意識せずに反感を抱いてしまっていたからだったかもしれない。

自らの悲しみにだけ意識が向いているらしい瞬が、星矢のそんな無意識に気付いた様子もなく、微かに首を横に振る。
「“悪い奴等”って、誰が決めるの。人はどんな人だって、悪心だけでできているものじゃないでしょう。100パーセント悪心だけの人はいないし、100パーセント良心だけでできている人もいない。もしいたら、その人は神だよ」
一度断言してから、瞬はしばし考え込む素振りを見せて、
「ううん、人間じゃないよ」
と言い直した。

『神だ』と言えないところがアテナの聖闘士のつらいところだな――と、紫龍は、瞬の訂正を受けて、表情には出さずに苦笑したのである。
瞬に最も近しい場所にいる神――ギリシャの神々――は、人間にはない力を持った人間にすぎない。
二神教に見られる善の神と悪の神、あるいは光の神と闇の神といったものたちとは、根本的に性質が違うし、一神教の絶対神や創造神とも本質が異なっている。
悪心のみ良心のみでできていないギリシャの神々は、そういう意味では人間と大差ないものだった。
アテナの聖闘士たちが倒してきた神々は、そういう意味では、人間そのものだったのだ。

「敵も人間だが、俺たちも人間だ。戦った時、勝つべき者が必ず勝っているとは言わないが、もし俺たちが過ちを犯しても、“神”は許してくれるさ」
紫龍の慰めに、瞬がまた寂しく微笑む。
そして、瞬は、更に自分への同情心を募らせたように、
「僕、神様を信じていないんだ」
と、呟いた。

瞬にとって、アテナは神ではなかった。
その弱さを含めて 人間をすべて愛し許し包んでくれる、人間よりも人間らしい特別な人。
それが瞬にとってのアテナだった。
だから、アテナには瞬を許すことはできない。
彼女が瞬の所業を許してくれても、それは瞬の救いにはならない。
彼女にできることは ただ、彼女の聖闘士たちを愛することだけなのだ。
絶対神を持っていないということは、自分を許してくれる存在を持っていないということだった。






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