瞬の強く優しい仲間の一人である星矢が、すっかり沈んでしまっている瞬を見て、短く嘆息する。 神、善、悪――そういったことのみでなく、『正義とは何か』ということをさえ、あまり深く考えたことのない星矢だったが、だからといって彼は、自分と同じ価値観や姿勢を仲間に強いるような人間でもなかった。 ものごとを深く考えることを面倒くさがる星矢は、だが、悩み沈んでいる仲間を打ち捨てておけるほど、ものごとに無関心な人間でもなかったのである。 瞬が掛けているソファの横に腰をおろし、先程からずっと沈黙を守っている男の存在に気付くと、彼はその男の沈黙を非難した。 「瞬が落ち込んでるんだから、おまえ、得意の踊りでも見せて、瞬を元気づけてやったらどうなんだよ?」 星矢が気にかけているのは、あくまで瞬の消沈であって、瞬を迷わせていることの答えではない。 到底 瞬の悩みの根本的解決に至ることのない その場しのぎの星矢の提案に、氷河は、 「阿呆」 の一言で答えた。 それから、彼は、ラウンジのセンターテーブルで先程から暖かい季節の訪れを知らせる香りを漂わせていた花器に目を向けた。 その中から薄桃色の蕾をつけたバラを1本手に取り、シュンの前に差し出す。 「おまえはこういうものになりたいのか?」 人の手によって棘を抜かれ、美しくはあったが無力で物言わぬそれを、瞬はしばらく無言で見詰めていた。 それから、その無力なものを仲間の前に差し出した男の顔を見あげる。 「そう……なのかもしれない」 アテナの聖闘士が口にしていい言葉ではないと自覚しながら、瞬が頷く。 氷河は、アテナの聖闘士にあるまじき瞬の言葉を、責めることはしなかった。 「それは困った。おまえが花なんかになってしまったら、俺はおまえを抱きしめることができなくなる」 「……」 瞬は、そんな、まるで睦言のような氷河の言葉で、自らの迷いを忘れたわけではなかった。 無論、自らが迷いながら闘い続ける“人間”であることを是としたわけでもない。 それでも、瞬は、自分が人間としてここに在ることを望んでいる者の存在を知らせる氷河の言葉が嬉しかったのである。 それまで青白いばかりだった頬を ぽっとバラの蕾と同じ色に染めて、瞬は恥ずかしそうに瞼を伏せた。 花器の置かれたテーブルの向こう側で展開されるメロウな寸劇に、星矢が思い切り嫌そうな顔になる。 彼はその声のボリュームを抑えることなく、彼の隣りにいた長髪の男に意見を求めた。 「紫龍、こういうの、どう思う?」 「気障だな」 「かゆいんだよ!」 「まあ、氷河にも氷河の都合があるんだろう」 「どんな都合だよ!」 今にも本当に背中をがりがりと掻きむしり始めそうな様子の星矢に苦笑し、紫龍が低い声で告げる。 「どんな卑怯な手を用いてでも、どんな気障な手を使ってでも、瞬に、今いる場所から逃げてほしくない――という都合だ」 「……」 仲間の気障に触れたせいで星矢の全身に発生した蕁麻疹は、その一言で嘘のように消えることになった。 瞬が今いる場所から逃げ出すことがあったなら、その時 誰よりも後悔することになるのは瞬だということがわかるから――星矢は氷河の気障を(不本意ながら)許さないわけにはいかなかったのである。 |