「俺の言っている言葉の意味が 本当にわかっているのか……?」
ヒョウガには、そんなことを尋ね返す不粋を不粋と気付く余裕もなかった。
不粋でも、確かめずにはいられない。
それは、彼の命と運命を左右する重要なことだったのだ。
ヒョウガの不粋な問いに、シュンは答えてくれなかったが。
代わりに、シュンは、
「僕はヒョウガが好きです」
と、明瞭で澱みのない声でヒョウガに告げた。

ヒョウガは、シュンの言葉の意味がわからなかったのである。
どう理解すればいいのかが、わからなかった。
シュンの言う『好き』は、どういう『好き』なのか。
抱かれてもいいという意味か、共に罪を犯すことも厭わないという意味か、人として隣人に好意を抱いているという意味なのか――。

散々悩み、考え抜いたあとで、ヒョウガは、シュンの言う『好き』を「言葉通りの意味なのだろう」と理解した。
ヒョウガの混乱の時が過ぎ去ったのを察したらしいシュンが、まっすぐにヒョウガを見詰めてくる。
「僕は――世界を支配する力は、僕だけじゃなく、誰でも持っている力だと思うんです。汚れを知らなければ、人は神のように傲慢でいられる。人は、人を愛さなければ、世界で最も自分を大切だと思っていられて、確固として自分の意思を通すこともできる。人を誰も愛していなければ、それだけでその人は世界の支配者だよ」

何を、シュンは言おうとしているのか――。
自分はこんなに理解力のない男だったろうかと自分自身を訝るほどに、ヒョウガにはシュンの言葉の意味がわからなかった。
それがあまりに想定外のことだったために。
ヒョウガにとって、あまりに喜ばしすぎる言葉だったせいで。
シュンが、ヒョウガの胸中の疑念に答えるように、結論を口にする。
「でも、僕は、そんなものには なりたくないんです」

「シュン……」
「僕は、それを罪だとは思わないし、汚れだとも思わない。だけど、人がそれを罪だと言い、汚れだと言うのなら、僕は汚れてもいい。僕は、ヒョウガが大切なんです。ヒョウガが少しでも楽になって、一瞬だけでも笑ってくれるのなら、僕は神の意に背いてもいい」
エデッサ王家の者たちは皆 情熱的なのだと、シュン自身が言っていた。
その通りなのだろう。
以前と少しも変わらず澄んでいるのに、シュンの瞳は、炎が燃え立つように熱く強く輝いていた。

そして、その時、ヒョウガは気付いたのである。
自分が神の力に頼り、神が定めたという法の力に頼り、シュンの清らかさを保つことで、シュンを守ろうとしていたことに。
聖なる一門の反逆児にして“神に逆らう者”なら、神の力などに頼らず、自分がシュンを幸福にしたい、シュンを生かしたいと考えていいはずなのに。

即座にヒョウガは覚悟を決めた。
自分のために その身に罪を負うと言ってくれている者の肩を掴み、懇願するように言う。
「シュン、俺と逃げてくれ。俺はモンテ・コルヴィノの一族としての名と財産を捨てる」
「それは……」
シュンは、ヒョウガの望みを叶え、従容として処刑台に上るつもりだったらしい。
ヒョウガの懇願を聞くと、シュンは一瞬、瞳に戸惑いの色を浮かべた。

しかし、そんなことは、シュンには耐えられても、ヒョウガには耐えられることではなかったのである。
死に耐える自信があるのなら、人には生きようはいくらでもある。
ヒョウガはシュンに言い募った。
「俺は、おまえなしでは生きられない。俺を死なせたくないなら、生きることだけを考えてくれ」
「僕は――」

祖国と肉親と国の民。
それらのものを失っても、シュンにはエデッサの王の子としての矜持が残っていた。
その誇りに支えられて、孤独な捕虜としての日々を耐えてきた。
だが、そんなものが何だというのだろう。
――そう考え始めている自分自身に、シュンは驚いていた。
だが本当に――そんなものが いったいどれほどのものだというのだろう。
そんな誇りは、神の言葉ほどにも、ヒョウガの微笑一つほどにも価値のないものである。
ヒョウガに微笑んでもらうためになら、何でもできる。
ヒョウガに生きていてもらうためなら、何でもできる。
何よりも、シュン自身が、生きてヒョウガの側にいたかった。

「僕は、ヒョウガと一緒に生きていたいです」
シュンは、自分から両の腕を伸ばして、ヒョウガの首にしがみついていった。






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