『 我が不肖の甥へ

まずは、ご苦労だったと、おまえをねぎらうべきだろうな。
我が一門への最初で最後の奉仕、ご苦労だった。
知らせるべきか否か、迷わなかったわけではないのだが、おまえには真実を知る権利があると思うので、礼儀として知らせておく。

私がこの計画を思いついたのは、シュン殿を殺さずに生かしておく教皇の目的を初めて知らされた時だった。
教皇の目的は、シュン殿を使って、地上の神が司る国――つまり、神裁国家を建設することだった。いや、神裁世界の実現というべきだろうか。
神の教えで世界を支配するだけでなく、世俗の王としての力も得たいと、教皇は考えていた。聖俗両方の次元で完全に世界を支配することを、だ。

現在のキリスト教世界には多くの国がある。そして、それらの国々はそれぞれに、聖職界の者には手出しのできない武力を蓄えている。
対して、教皇庁には、俗界からの志願者によって成る騎士団があるにすぎない。
各国の王が破門を恐れなくなったら、教皇庁は何の力も有さないことになる。

教皇の目的は、それらの国々とそれらの国々が持つ軍隊を一つにまとめ、軍の統率権をも教皇のものにすることだったのだ。

だが、それは、“教皇”としての権限だけでは実現不可能なことだ。
“教皇”は宗教界の王でしかない。
教皇が聖俗両世界の王になるには、尋常でなく大きな力が必要だ。世界の王――つまり、キリストの再来でもないことには、彼の野望の実現は難しい。
そこに、都合のいい伝説を持つ小王国があった。教皇はその伝説を利用することを考えた。
シュン殿を再来した神の子として利用することで、彼は世界の支配者になろうとしたのだ。

おまえは鼻で笑うかもしれないが、これでも私は神に仕える神官だ。
真の主君は教皇などではなく、天上の神だ。
作られた――偽キリストとわかっている者を世界の王として立て、その王を操る邪悪の徒に従うことはできない。
かといって、立場上、私は、教皇庁に正面きって反抗したあげくに破門され、一門の者たちを路頭に迷わせるわけにもいかない。まして、我が一族の名を冠する町を戦場にすることなど、論外のことだった 』


ヒョウガはそこまで読んでから、一度、大伯父からの手紙を読むのをやめた。
これを教皇庁の腐敗と言っていいのだろうか。
ただ腐っているだけの方が はるかにましだと、彼は思ったのである。


『私は、おまえを使って教皇の野望を阻止することを考えた。
一門の中で、最も聖職界の腐敗を嫌悪しているおまえなら、あの清らかな王子に惹かれないはずがない。
教皇に逆らってシュン殿を守ろうとするだけの気概も、おまえは備えている。
悪徳に染まらず、子供じみたやり方ではあるが、青臭い正義を貫こうとしているおまえなら(けなしているのではないぞ)、シュン殿を悪い方に染めることもないだろうし、逆に、シュン殿を守るために、おまえが少しは大人になってくれることも期待した。
――よもや、こんな仕儀になるとは思っていなかったが』


枢機卿の苦笑する様が見えるようである。
想像の中の大伯父につられて、ヒョウガもまた苦笑いをした。
ほんの1ヶ月前まで、当のヒョウガ自身、自分がこんな恋に落ちることがあるなどということは考えてもいなかったのだ。


ついえたとはいえ、自身の野望を表沙汰にできない教皇は、へたに騒ぎを大きくすることは危険だと判断し、モンテ・コルヴィノの町と一門の不手際をすべて不問とすることにした。
おまえは、故郷と一門のことは――考えてもいないだろうが――心配する必要はない。

おまえの両親の遺産をフィレンツェの銀行に移しておいた。手形を同封する。
シュン殿には不自由をさせないように。

そして、おまえはおまえの信じる神に従って生きるがいい。
我等の真実の神は、それをお許しになるだろう 』

枢機卿からの手紙は、そして、
『やはり、おまえは聖職者には向いていなかったな』
の一文で終わっていた。


結論としては、ヒョウガは彼の生まれ育った故郷の町に二度と戻ることはできない。
一門の一人としての地位の回復は許されないが、罪人として追われることもない――ということだった。
ヒョウガは、モンテ・コルヴィノ一門の一人としての義務から解放され、一門はその地位を安堵し(枢機卿に至っては、教皇の秘密を握ったことになる)、損をしたのは、野望を挫かれた教皇だけ。
恋し合う二人にとっては、絵に描いたような大団円だった。――罪を犯したというのに。

「ヒョウガ。枢機卿は何て……」
モンテ・コルヴィノ枢機卿からの手紙が、この隠れ家に届けられたというので、シュンは先程からずっと不安でいたらしい。
「俺は勘当だと。それから、自由に生きて、幸せになれと書いてある。多分」
「自由に?」
心配性の恋人を安心させるために、ヒョウガはすぐに笑顔を作った。
それは幾分 苦笑めいたものになったが、モンテ・コルヴィノ枢機卿のサインが入った手紙の最後の一枚を見せられたシュンは、ヒョウガの苦笑も自然なものと納得したらしい。

「僕たち人間は、その身に原罪を負っているが故に自由なのだと、両親が言っていました」
ヒョウガの手を取り、ヒョウガの顔を見上げ、シュンが微笑む。
夜毎 ヒョウガの愛撫を受けているというのに、罪を犯しているはずのシュンの瞳は、以前と変わらずに澄んだままだった。

「原罪を負っていない処女マリアと神の子イエス、楽園にいた頃のアダムとイブは、神様の意思に沿って生きることしかできない存在だった。彼等は、神に命じられないと誰かを愛することも許されない者たちだった。罪を犯し楽園を追放されたアダムとイブの子孫たちは、その罪ゆえに、自分の意思で自分の生き方を決めることができるようになった。自由意志を得ることができた。でも、本当はそれも神様の計画の内で、神様は人間の可能性に期待しているんですよ――って」

義務ではなく、与えられ定められた目的でもなく、可能性への期待。
それが、真実 神が人に望むことであるのなら、神とはなかなか粋な存在である。
シュンがそう言うのなら その通りなのだろうと、ヒョウガは思うことにした。

「では、天の神が望む通りに――二人で幸福になろう」
ヒョウガがそう言って頷いた時、シュンは既に幸せそうに微笑んでいた。






Fin.






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