しかし、護衛される皇太子の方は、ヒョウガの完璧なまでの護衛振りに辟易していたのである。心から、うんざりしていた。
つい半月前まで、庶民的と言えば聞こえはいいが、平民と同じ生活レベルの貧乏貴族の家で寝起きし、平民の子供たちに混じって下町を走り回っていた少年が、突然 絢爛豪華な王宮に連れてこられ、堅苦しい礼儀作法を求められて、気分上々でいられるはずもない。
その上、彼には まるで罪人を見張る看守のように厳しい監視の目がついているのである。

王宮に来てからずっと、皇太子は囚人のそれと大差ない気分を味わわされていた。
とはいえ、彼の自由を妨げているのは、宮廷内では数少ない彼の味方の一人で、皇太子はその立場上 面と向かってヒョウガの忠勤を責めることはできない。
自分を取り囲む、そういったことの何もかもが、皇太子には息苦しくてならなかった。

「ヒョウガの護衛なんかなくたって、俺はチンピラの3人4人くらいなら自分で撃退できるし、飛んでくるナイフくらい避けられるんだよ……!」
ヒョウガは、今は隣室に控えている。
続き部屋になっているドアは薄く開かれており、皇太子は声をひそめていなかったので、彼の声はヒョウガの耳に届いているはずだった。

「でも、セイヤは この国の正統な跡取りで大事な身なんだから、その護衛に行き過ぎるってことはないでしょ。それに、ヒョウガの家はこの国の大貴族の中では唯一、セイヤ支持の立場を明確にしてくれている家で、他の貴族たちが今の大公妃様の顔色を窺っている時に毅然とした態度でセイヤの権利を認めてくれている。最初から地位や権力とは無縁の貧乏貴族の僕の家とは訳が違って、セイヤの身に万一のことがあったら、ヒョウガは多くのものを失うことになるんだよ。ヒョウガの家はセイヤと運命共同体なの。ヒョウガの勤勉は当然のことでしょ」

少しも大公家の跡取りらしくないセイヤをたしなめたのは、彼の幼馴染みのシュンだった。
現大公妃の悪意の手から逃れたセイヤを預かり、大公妃とその一派の魔手から守り通した小貴族の家の子弟である。
堅苦しい宮廷の作法とは無縁に自由に育てられ、大公位への執着などないセイヤが、王宮に戻ることを求められた時、
「シュンも一緒に来てくれるなら、王宮とやらに行ってもいい」
と言って連れてきた彼の親友だった。

そのシュンは、ヒョウガの鉄壁の護衛振りに不満たらたらのセイヤを見て、先程から はらはらしていた。
ヒョウガとその家は、セイヤにとって、この宮廷における唯一の有力な味方なのである。
バーデン大公国陸軍元帥であり侯爵でもあるヒョウガの父の後ろ盾があるからこそ、セイヤの命は保たれていると言っていい。
その息子のヒョウガとて、本来は大公付き近衛軍の隊長なのである。
その彼が本来の職務を投げうって、宮廷の異端子といっていいセイヤを日夜見守っていてくれるのだ。
セイヤは彼に感謝こそすれ、文句を言える立場にはなかったのである。

「それはさ、ありがたいとは思うし、ご苦労なこったとも思ってるよ。けどさ、ヒョウガのあの目、シュンは平気なのか? まるで瞬きもしてないみたいに、いつもじっと俺を見張っててさ。俺、窒息しそうなんだよ。俺は、好きで皇太子様なんてものになったわけじゃないし、こんなとこ、いつでもすぐに出てってやるのに!」
「セイヤ……」

道理と大公家の正統を守ろうとするヒョウガの立場と、束縛を嫌い 自由を求めるセイヤの気持ち――その両方がわかるだけに、シュンは、セイヤに首肯することも彼をいさめることもできなかったのである。
この華やかな宮廷の無駄に豪奢な調度や家具、そこに入り浸りの貴族たちがかもしだす空気は、シュンにとっても、確かに快いものではなかった。
しかし、セイヤの側にいれば その澱んだ空気は浄化されていくような気がしたし、セイヤが嫌がるヒョウガの視線は、シュンにはさほど不快なものではなかったのである。
むしろ、彼の視線があるからこそ、シュンは慣れない場所での不安や物怖じを感じずに済んでいたのだ。

だが、その肩に重責を負わされようとしているセイヤは、ひたすら自由を欲しているようだった。
「シュンだって帰りたいだろ? 早起きして、市場が始まる前に広場の大掃除して、駄賃もらって、朝いちばんでパン屋で焼きたてのブドーパン食うんだよ。ここは、メシは豪勢だし食いきれねーほど出てくるけどさ、毒見だの何だののせいで、俺が食う頃には冷えて不味くなってて、食えたもんじゃねー。あー、やだやだ」

セイヤは、実際、大公位の継承権を放棄するつもりで、この王宮にやってきたのである。
その実行をセイヤに思いとどまらせたのは、王宮でセイヤを迎えた侍女あがりの現大公妃の人を見下したような目と、その息子の軽薄この上ない傲慢振りだった。
さすがに正統な皇太子を面罵することのできなかった彼等が、セイヤと一緒に王宮にやってきたシュンを貧乏貴族の息子とののしったせいだった。
セイヤの目には、その地位をかさにきて他人を見下す彼等より、人の悪口など決して口にしないシュンの方が はるかに上品で上等な人間に見えただけに、現大公妃母子の振舞いが腹に据えかね、彼は ほとんど嫌がらせをするつもりで、この王宮に居坐ることを決めたのである。

そういう経緯で、下品な現大公妃母子から大公位を奪い取る決意をしたまではよかったが、この王宮には自由がない。
それでもせめて派手な皇太子暗殺活劇でもあれば退屈しのぎになったかもしれないが、大公妃一派のやり口はどれも陰険で陰湿で派手さに欠け、セイヤには到底楽しめるようなものではなかったのだ。






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