「よし、明日の朝決行しよう。散歩の振りして庭に出たら、北の門から王宮を抜け出して、マルクト広場に行く!」
セイヤがシュンに耳打ちをしてきたのは、その夜の晩餐を済ませたあとだった。
中国から輸入してきたという高級鶏の冷えたローストチキンより、焼きあがったばかりのブドーパンの方が100万倍美味いと、セイヤはここにきて絶対の確信を抱くに至ったのである。

「セイヤ……」
いくら何でも それは軽率に過ぎるのではないかと、さすがのシュンが不安そうな顔になる。
「シュンが嫌だって言っても、俺は行くからな。俺はどうしても、あのパン屋の焼きたてのブドーパンが食いたいんだよ!」
セイヤにきっぱりと断言されてしまうと、だが、シュンは彼に従わざるを得なかったのである。
セイヤがバーデン大公国の皇太子だからというのではなく――二人の関係は、昔からそうなのだった。

翌朝、セイヤは彼の決断を実行に移した。
もちろんシュンも一緒である。
二人が王宮を抜け出して駆け込んだバーデン大公国の首都カールスルーエの中央にあるマルクト広場は、子供の頃の彼等の遊び場だった。
あと2時間もすれば、野菜や果物を荷車に積んだ市民たちがやってきて、ここに市場を開く。
ヒョウガの目を逃れるため日の出前に王宮を出た二人が広場の入り口に立った時、そこにはまだ人影のひとつもなかった――のだが。

「さすがに来るのが早すぎたかー」
人っこ一人いない静かな広場を見渡して、セイヤがそうぼやいた時、長剣を手にした男たちが数人――5人――セイヤとシュンの前に立ちふさがった。
「セイヤっ!」
シュンが真っ青になってセイヤの名を呼ぶ。
どうやら、大公妃のやり口が地味で陰湿だったのは、セイヤが王宮内に留まっていたからだったらしい。
彼女は、王宮の外では手段を選ぶ気はないようだった。

「へえ、やっと暗殺劇らしくなってきたじゃん。ちゃんと俺の後をついてきたんだ。ヒョウガより仕事熱心だな」
と、セイヤが感心したのも束の間、暗殺者たちとセイヤの間にヒョウガが飛び出てきて、無言で暗殺者たちに剣の切っ先を向ける。
幸い暗殺者たちは暗殺の目撃者を作ることは避けたいらしく、暗殺に銃を使うつもりはないらしかった。

「仕事熱心で、ヒョウガが負けてるはずないか」
バーデン大公国の皇太子が、自国民の勤勉さに重ねて感心してみせる。
そこに珍しく鋭いシュンの声が飛んできた。
「感心してないで、セイヤ、逃げてっ! ここは僕とヒョウガが何とかするから!」
セイヤは丸腰だったが、シュンはさすがに、未来の主君の身を守るために剣を帯びていた。

「こんな面白いところで、俺に逃げろっていうのかっ!」
「あたりまえでしょ!」
「あたりまえだっ!」
セイヤの不満げな訴えを、シュンとヒョウガが ほぼ同時に切って捨てる。
ヒョウガは続けて、
「シュン、おまえもセイヤと一緒に――」
と言いかけたのだが、その時にはシュンは既に暗殺者の一人と剣を交え始めていた。
シュンは、たまに休暇で故国に帰ってくる兄の仕込みで剣や銃の使い方は心得ていた。
実際に人を傷付けたことはなかったので、シュンはどうしても敵を疲れさせることしかできなかったが、そこはヒョウガが巧みにカバーしてくれた。


「おまえら、いいコンビネーションだな」
セイヤの好きなちゃんばらは、20分後には片がついてしまっていた。
結局最後までその場に居残ったセイヤが、せめてこれくらいはと思ったのか、皇太子暗殺の生き証人たちの両手を、広場に落ちていた荒縄で縛める作業にいそしみながら言う。
シュンは、さすがに、その細い眉を吊り上げることになったのである。

「ヒョウガが僕に合わせてくれてたの! ヒョウガ一人の方がもっと手早く……もう、なに呑気なこと言ってるの。セイヤが殺されかけたんだよ!」
「殺されかけただけで、殺されてねーし。こういう時のために、ヒョウガがいるんだろ」
「それでも……『ごめんなさい』と『ありがとう』は言うべきでしょう」
シュンにいさめられたセイヤが、しぶしぶその言葉に従う。
ヒョウガが仕事熱心でなかったなら どういうことになっていたのかは、セイヤにもわかっていた。
もっとも、ヒョウガは、皇太子の『ありがとう』にもシュンの『ごめんなさい』にも特に感動した様子は見せなかったが。
彼は、シュンの『ごめんなさい』に、微かに首を横に振っただけだった。






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