氷河がまさか そんな潔癖や謙虚の気持ちを有しているとは知らない星矢と紫龍が、なぜ氷河はさっさと瞬を許してしまわないのかと訝り始めた時。
いつの間にかラウンジから姿を消していた沙織が、裁きの庭の扉を開けて、法廷に入ってくる。
彼女は、もはや どちらが原告でどちらが被告なのかの判断が難しくなった二人に、
「栄養士さんに借りてきたわ。私、あいにくと現金は持ち歩かない人間だから、持ち合わせがなくて」
と言って、それぞれの手に120円の現金を渡した。

「デートの軍資金よ。一緒に、噂の公園に行って、二人でコーラでも飲んでらっしゃい」
「え……あの……」
手渡された3枚の硬貨に瞬は戸惑い、氷河は沙織の指示に安堵の息を洩らした。
問題の決着をつけようとしない沙織のやり方は、おそらく正しい。――と、氷河は思った。
おそらくこれは、許すべきでも許されるべきでもない、ただの事実なのだ。
その事実が、これからの二人の間に翳りを落とすことはないし、また、そんなことはあってはならない。

「今夜から、他の何は食わなくても、ピーマンだけは残さず食うと、軍資金提供者に伝えておいてくれ」
氷河は、沙織と軍資金提供者への謝意を伝え、
「瞬、行こう」
瞬の手を取った。

「あ……」
困惑しつつ氷河に握られた手を見詰めることになった瞬が、やがて勇気を奮い起こして、氷河の顔を見あげる。
その視線を捉え、氷河は――氷河もまた、瞬の顔を見詰めた。
詰まらない誤解を受けたくらいのことでは嫌ってしまえない人の瞳が、そこにある。

「とにかく、腹の立つ公園でな。今時、自販機が全部現金しか受付けない代物ばかりなんだ。あと何年かすれば、あんな自販機はこの世から消えうせてしまうだろうから、今のうちにじっくり見物しておこう」
全く違う方向に話題を飛ばされてしまった瞬は、そうなって初めて、自分が氷河に許されたいと思っていなかったことに気付いた。
氷河に許してもらえたところで、自分が氷河を誤解した事実が消えることはない。
だとしたら、その事実は事実として受け入れ認めるしかない。
その上で、二人が新しい関係を築いていくことは、不可能なことではないはずだった。

「沙織さん、ありがとうございます」
沙織に一度ぴょこんと頭を下げると、瞬は氷河と共にくだんの公園見学ツアーに出発することにした。


じれったい二人の姿がラウンジから消え去ると、星矢が長い吐息で『キグナス氷河は金持ち大好き』裁判の閉廷を宣言する。
それから彼は、少々呆れた口調で、たった今終わったばかり裁判へのコメントを発表した。
「氷河ほどの変人もいないと思ってたけど、瞬も実は結構な変人だよな。あの氷河に1億だと。俺なら10円払うのにも躊躇するぜ」
「その前に、あんなものは頼まれても買わないだろう」
星矢と紫龍の至極常識的な意見に、沙織はおもむろに頷いた。

「氷河なんて、原始人レベルでお金の価値なんか わかっていなさそうなのに、瞬も馬鹿な誤解をしたものね」
「沙織さん、きついですね」
紫龍が、人類への慈愛と寛容を売りにしている女神の非常に厳しい評価に、肩をすくめる。
きついことを言い合えるほど、確かに二人は仲がいいのかもしれなかった。
しかし、二人のその仲のよさ(?)は恋ではない――恋にはなり得ない。

「240円で実る恋。素晴らしいわ」
そう言って、氷河と瞬の恋のお手軽さに感嘆してみせる沙織は、なにしろ、瞬より はるかに(男の)趣味がよかったのだ。


人は愛だけで生きていくことはできない。
それは事実である。
人が生きていくには、お金も必要なのだ。
――ほんの少しだけ。






Fin.






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