「瞬に客?」 「はい」 メイドが瞬への来客の事実を瞬ではなく氷河に知らせてきたのは、瞬に会うことのできる客を氷河が選別しているからだった。 城戸邸に瞬を訪ねてきた客人は、まずメイドによって軽い口頭試問を受け、その後、氷河と一次面接を行ない、その両者にパスして初めて、瞬との面談が叶うことになっているのである。 そのシステムが城戸邸に導入されたのは、もう半年以上も前のこと。 瞬の名の入った落とし物を拾ったという男が瞬を訪ねてきたことが、直接の原因だった。 その親切な男が、実は、無謀にも銀座への進出を企てている某会員制高級メイド喫茶のスカウトマンで、瞬は、ぜひ当店の看板メイドになってほしいと食い下がる彼に帰ってもらうために、散々苦労したのである。 他にも、消火器の押し売りを装ったストーカー男や、社会保険庁の職員を それをまた瞬が律儀に何時間も相手をするせいで、敵は図に乗る。 その対処のために、ある時期から「瞬への客は氷河を通す」というのが、城戸邸の不文律になっていたのだ。 「また、オタクのストーカーか?」 いつもなら氷河の質問に客観的かつ辛辣な意見を即答してくるメイドが、今日に限って、 「私には何とも……」 と言葉を濁すだけで、明答を避ける。 埒があかないので、自分でその判断をするために、氷河は、城戸邸のエントランスに自らの足を運ぶことにしたのである。 『客が男なら、問答無用で追い返す』が氷河の接客ポリシーだったのだが、今日の客はどうやら女性のようだった。 かなり背の高い女性が、城戸邸正面玄関のドアの前に後ろ向きで立っている。 家人に背中を向けて立つ客人を怪訝に思いながら、氷河は開口一番、 「瞬は今、外出中だ」 と告げた。 告げられた女性が、ちらりと氷河の方を振り返り、すぐにまた氷河に背を向ける。 さて、ところで、氷河はアテナの聖闘士である。 その動体視力は尋常の人間の比ではなく、時速300キロで走り抜けていく新幹線の乗客たちの顔を窓越しに識別することも容易にできた。 その氷河には、一瞬だけ垣間見ることになった客人の顔の造作を見極めることなど、朝飯前どころか起床前の仕事だったのである。 氷河は当然、客人の顔立ちをはっきりと知覚した。 そして、彼は、非常に不愉快な気分になった。 その客人の顔の上に、氷河はひどく奇天烈なものを見てしまったのである。 その奇天烈なものが何であるかを思い出すや、氷河の理性と感情は、激しくぶつかり合うことで熱帯低気圧を生む 北半球の北東貿易風と南半球の南東貿易風のように 互いにせめぎ合うことになった。 結果として、氷河の胸中に、強烈な大暴風雨状態が生まれる。 その女性は、氷河がこの世で最も嫌悪を覚える人物と同じ顔をしていた。 バブルの時代からタイムスリップしてきたのかと言いたくなるような太い眉、その割にバブルの時代になら馬鹿にされていただろう、だぶついた服。 彼女の服装は、過酷なダイエットの末に20キロの減量に成功した女性が、他に着る物もないので、ダイエット前の服を着込んでいるような、ひどくちぐはぐなものだった。 あるいは、よんどころない事情で、ファッションセンスのない父親のTシャツとパンツを借用せざるを得なくなった娘のいでたちのように不自然だった。 その客人が、氷河と同性だったなら、彼は即行で自室にとって返していただろう。 客人がどう見ても女性だったので、氷河はそうすることができなかったのである。 “彼女”は、氷河の大嫌いな男にそっくりな顔の持ち主だった。 つまり、その女性の顔は、瞬の兄のそれに瓜二つだったのである。 見たくないものを見てしまった氷河は、当然 大いに気分を悪くした。 氷河の感情は、さっさとこの場を立ち去りたいと、強く氷河に訴えてくる。 だが、理性が、氷河をその場に引き止めた――。 客人の顔が瞬の兄のそれに酷似しているということは、彼女が瞬の身内である可能性を有している――と、氷河の理性は氷河に訴えてきたのである。 瞬に一輝以外に血縁があるという話は聞いたことがなかったが、もしそうだった場合――彼女が瞬の身内だった場合――瞬の親戚に無礼な態度を見せるわけにはいかない。 むしろ、彼女の機嫌をとっておいた方が、今後何かと有益なことがあるかもしれないぞ――というのが、氷河の理性の主張だった。 しかし、客人の顔が不愉快なものであることは、いかんともし難い事実で、ゆえに氷河は、自分がとるべき次の行動に迷うことになってしまったのである。 この奇妙な客人に対して どう対処すべきか――無視するべきか、機嫌取りに走るべきか――を悩んだ氷河は、とりあえず客人の出方を待つことにしようという、彼にしては実に常識的な判断を為したのだった。 「氷河、僕にお客様が来てるんだって?」 氷河が彼らしくない常識を稼働させた ちょうどその時、エントランスホールを見おろす回り廊下の上から、瞬の声が響いてきた。 その声を認めた客が振り返り、瞬を見あげる。 その時に氷河は初めて、まともにじっくりゆっくりしっかりと、その客人の顔を見ることができたのである――できてしまったのである。 彼女の顔は本当に瞬の兄にそっくりだった。 その事実を改めて確かめた氷河は、その女性に心から同情することになった。 瞬の兄の顔は、男の持ち物としても鬱陶しいこと この上ない粗雑な造りの顔である。 女性でこの顔は気の毒すぎるというものだった。 その客人は、少なくとも瞬と面会のアポイントメントを取りつけてから城戸邸にやってきたわけではなかったらしい。 彼女は、瞬にとっても ふいの来客であったようだった。 階段の上で、兄と瓜二つの顔を見ることになった瞬が、一瞬 絶句する。 それから瞬は、 「に……兄さん……?」 と、震える声で客人に問いかけた。 「瞬。確かに この顔は、気の毒なことに一輝のツラと瓜二つだが、どう見ても彼女は女性だろう。この胸は大胸筋じゃない」 横目に客人の姿を観察してから、氷河は、彼が気付いたもう一つの事実を重ねて口にした。 「……ノーブラだな」 「氷河、なに見てるのっ!」 瞬に鋭い声で叱咤され、氷河が慌てて居住まいを正す。 「ああ、いや。胸はともかく、この肩、この腰、なにより喉。顔の造りが雑なだけでなく図体の方もかなり大作りだが、これくらいデカい女はロシアにはざらにいる。これを一輝呼ばわりしたら、さすがに客人に失礼だ」 その場で最も失礼な人間は、どう考えても氷河その人だったのだが、ともかく彼は、仮にも女性を、暑苦しく不愉快極まりない男と混同する瞬をいさめたのである。 しかし、瞬は氷河の言葉を全く聞いていなかった。 瞬は、たっぷり1分間 客人の顔を凝視した後、そのままその場に昏倒してしまっていた。 |