白鳥座の聖闘士






「いつも不思議に思ってたけど、白鳥座って夏の星座なんだよね」
空には、琴座のベガ、鷲座のアルタイル、白鳥座のデネブが、いわゆる“夏の大三角”を描いている。
夏は、冬に日本に渡ってくる鳥の星座である白鳥座が 夜空の主役になる季節だった。

「白鳥座の白鳥って、ゼウスの化けた姿なんだろ。瞬がハーデスの依り代にさせられたみたいにさ、実は氷河もゼウスの依り代だった――なんてことになったら、面白いのにな」
「面白い?」
瞬は、星矢の発言の意図が理解できず、首をかしげた。
地上の平和と そこに住む人類の安寧を守るべきアテナの聖闘士が、それまで自分が命を懸けて守っていたものを滅ぼそうとする。
それがどれほど苦しいことなのかが、星矢にわからないはずはない。

あんな苦しい思いを、瞬は二度と経験したくなかったし、まして仲間である氷河には決してあの苦しみを味わわせたくなかった。
それは、どんな境遇にあっても生きることを望んできた人間が、自らの死を喜んでしまえるほどの苦しみだったのだ。

瞬が、自分の軽口のせいで暗い顔つきになったことに気付き、星矢はすぐに、
「冗談だよ」
と瞬のために、自分の発言を撤回した。
『ゼウスの化身がハーデスの化身に恋焦がれている図』が面白くなくて何だというのか――とは、さすがの星矢も口には出せなかったのである。
もとい、彼は、自分がそれを口にしてしまってはならないと思った。
そういうことは、当人が伝えるべきことなのだ。

そう考えた星矢は、撤回した発言の真意を説明する代わりに、さりげなく話題を脇に逸らすことにしたのである。
「ゼウスって、好色なので有名な神様だよな」
氷河が仲間の言葉に嫌そうに眉をひそめる。
が、星矢は、彼の反応をわざと無視した。
なにしろ星矢は、氷河のためにわざわざ話題を変えてやったのだ。
氷河が嫌がろうが腹を立てようが、知ったことではない。

「スパルタの王妃レダに横恋慕したゼウスが、白鳥に身をやつして彼女に近付き、まんまとものにした姿を写した星座だな。好き者はそういうことにだけは頭がまわる」
紫龍が、いかにも皮肉めいた口調で白鳥座の由来を語る。
否、この場合、『皮肉めいた』という表現は正確ではないだろう。
それは、正しく氷河への皮肉そのものだったのだ。

とはいえ、それは、『おまえは好色な神並みに色事に頭がまわる男だ』という意味の皮肉ではなく、『おまえも少しは自分の星座の本尊である好色な神を見習ったらどうだ』という意味の皮肉だった。
もしゼウスが氷河の立場にあったなら、彼はもう1年も前に瞬を自分のものにしてしまっていただろう。
大神ゼウス並みの迅速さと大胆さを氷河に期待するつもりは さらさらないが、全能の神ならぬ身の氷河とはいえ、いい加減で瞬に『好きだ』の一言くらい告げてもいい頃ではないか。

要するに紫龍は、いつまでも瞬に自分の気持ちを伝えずにいる仲間をじれったく思っていたのである。
紫龍と星矢の親切と苛立ちに気付いているのかいないのか、氷河は相変わらず あまり愉快ではなさそうな顔で沈黙を守っているばかりだった。

「レダ……」
氷河の代わりに瞬が、紫龍の皮肉に反応する。
「レダ……は、今はどうしてるんだろう……」
瞬が 妙に切なげな目をして呟いた言葉を、紫龍は訝った。
瞬が、まさか、ギリシャの神々が世界を支配していた時代のスパルタ王妃を懐かしんでいるはずがない。
「レダというのは何者だ? おまえに そんな名の知り合いがいたのか?」
紫龍に問われた瞬が、浅く頷く。
それから瞬は、少々困ったような顔を仲間に向けた。
「アンドロメダ島で一緒に修行していた仲間だよ。僕、彼に嫌われていたんだ」

瞬の答えを聞いた紫龍は、我知らず その顔を歪めることになったのである。
古い友人を紹介する時、人が――瞬に限らず――そういう説明をすることは珍しい。
そういう時、人は大抵、その友人の最も顕著な性格上の特性、その友人をその友人たらしめている特徴を告げるものである。
『優しい人だった』とか『短気だった』とか、『明るい人だった』『落ち着いた人だった』等々のことを。

しかし、紫龍はすぐに考え直したのである。
『瞬を嫌っている』というのは、確かに、ある一人の人間の人となりを説明する際、特に言及する価値のある珍しい特徴であることに思い至って。
「おまえを嫌う奴というのは珍しいな」
「そんなことない。僕を嫌いな人なんて いくらでもいた」

瞬が軽く首を横に振って、僅かにつらそうな目をして笑う。
その返答と反応は、紫龍や星矢には非常に意外なものだったのである。
瞬は、人当たりがやわらかく、争い事を好まない、言ってみれば極めて敵を作りにくい人間だった。
無論、瞬のそういうところに反発を覚えるタイプの人間もいるだろうが、そういう人間は、瞬に限らず大抵の人間を嫌っているものである。
瞬の言葉は、アテナの聖闘士たちには意想外のものだったのだ。






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