早鐘を打っていた心臓は やっと静まったらしく、シュンは寝台の上で身体の向きを変えると、ヒョウガの顔を上目使いに覗き込んできた。
うつ伏せに横になったシュンの背中は驚くほどなめらかで、ヒョウガは誘われるように、その魅惑的なものに手を伸ばし、肩から腰にかけた線をゆっくりと指先でなぞった。
マヤに高度な文明を与えた神ククルカンは白い肌をした神で、いつの日にか人々の許に帰ってくるという言い伝えがあるが、そんな神の再臨を待たなくても、白い肌の神ならここにいるではないかと、ヒョウガは感嘆の念と共に思ったのである。

初めて出会った時には、その肌の白さやなめらかさを、シュンが子供だからなのだと思っていたのだが、シュンのこの肌の感触は二人の出会いから時が流れても、シュンがヒョウガによって大人にされてしまっても、変わることはなかった。
むしろ、それはいよいよ なめらかに美しく 吸いつくような感触を増していく。
シュンは学者の家に生まれ、農作業や戦に関わったことはないが、それにしても この肌は魔力でもたたえているかのようにヒョウガを引きつけて離そうとしなかった。

「時々、俺はおまえの肌に触れるのが怖くなる。この美しい肌に愛撫の跡を残すのも罪のような気がして――」
そう言いながら、ヒョウガがシュンの肩に唇を押し付ける。
そこに うっすらと薔薇色の跡が残るのを見て、シュンは苦笑めいた笑みを作った。
「ヒョウガが嘘つきでよかった。本当にヒョウガに触れてもらえなくなったら、僕は――」
「おまえは?」
問われたことへの答えを探す素振りを見せてから、シュンは再び、今度は明瞭な輪郭を持った笑顔を作った。
「僕の方からしがみついていくから、おんなじ」
そう言って、実際にヒョウガの腕に両手を絡ませてくる。

この屈託のない華奢な少年が、天文・地質・鉱物・気象等の分野では 現在マヤ随一の頭脳の持ち主と言われているのだから、人は見かけによらない。
特にその計算能力は、学んで得られる能力ではなく 生来の才能がものを言うものであるだけに余人の追随を許さないと評価されている――のだそうだった。
シュンの才は幼い頃から顕著だったらしく、シュンの兄はシュンにこの家を継がせるために、彼自身は家を出てティカルの軍に入ってしまったらしい。
おかげでヒョウガは、誰に咎められることもなく、シュンの家に忍んでくることができているというわけだった。

一応貴族の末席に名を連ねているとは言え、代々の当主が学者肌で権力欲を持たなかったせいか、都の外れにある天文台に寄り添って建っているようなシュンの家はさほど広くはなく、瀟洒でもない。
身の回りの世話をするものも歳をとった召使いが一人二人いるだけのシュンの住まいは、若い恋人たちには実に都合のいい逢引の場所になっていた。

「知っているか。ほんの100年ほど前まで、マヤの者たちは、定期的に神々に血の生け贄を捧げていたんだ。大抵は、王族の流す血、それでも神々の恵みが得られない時には、汚れを知らない子供の命、そして、最後には王の心臓。ここ10数年――おまえが生まれてからは一度もマヤの民は神への生け贄を捧げていないが、子供の生け贄を選ぶ際には、身体に傷やほくろのない貴族の血を受けた清らかな子供が選ばれていたそうだぞ」

突然物騒な話を語り出したヒョウガに、シュンが怪訝そうな視線を向ける。
シュンの肩に手を這わせながら、ヒョウガは感慨深げに呟いた。
「こんなふうに、傷ひとつ、ほくろひとつない美しい身体の持ち主は、巡り合わせが悪かったら、おそらくいちばん最初に神への生け贄に選ばれていただろう」
ヒョウガがそんなことを言えるのは、シュンが既に16になり、もはや彼が神への生け贄に選ばれることはないということがわかっているからだった。
戦の神に戦士の生け贄を捧げる場合は その限りではないが、他の神々への生け贄には成人前の汚れない子供が選ばれることになっていた。
シュンには、もはやその“権利”がない。

「僕には、ヒョウガの方が僕なんかより ずっと綺麗に見える。金星の神ククルカンは、きっとヒョウガみたいな姿をしていたと思うよ」
ヒョウガが彼の恋人を称賛するのに負けじと考えてシュンはそう言ったのかもしれなかったが、陽光の色の髪をした恋人を見詰めるシュンの眼差しは、すぐに本当にうっとりしたものへと変わっていった。
シュンの指が、ヒョウガの額から左目を通って頬に残る傷跡を、そっとなぞる。
シュンの恋人の顔には、隠しようもなく深い傷の跡が記されていた。






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