「でもさ、そしたら、俺たちは今こうして一緒にいられなかったかもしれないぜ? アテナの聖闘士にもならず、おまえたちと知り合うこともなく。それってさぁ――」 星矢はいつも強硬な現実肯定主義者である。 過去を振り返り あれこれ思い悩むようなことは、彼の性分に合わないのだ。 しかし、瞬はそうではなかった。 現実を受け入れるために――受け入れようとするために、瞬は努力しなければならなかった。 努力し、現実を受け入れようとする意思の力を養い、その上でやっと現実を受け入れることができる――瞬はそういうタイプの人間だったのだ。 「それが悪いことだと断言はできないんじゃない?」 「瞬……」 瞬のその言葉に、星矢は尋常でなく驚いたのである。 アテナの聖闘士であること、命を預けても大丈夫だと確信できるほどの仲間がいること。 星矢は、それこそが自分たちの“今”と“生”を磐石のものにしている根本基盤だと思っていた。 それを瞬が否定できることに、星矢は驚かないわけにはいかなかった。 そして、星矢の感じた驚きは、星矢ひとりのものではなかった。 紫龍が、星矢の横で瞳を見開く。 「もちろん、今よりもっと悪い現在があったかもしれないっていう可能性は否定できないよ。でも、今の僕たちとは違うにしても、別のいい友達がいて、今よりもっと幸せな僕たちになれていたかもしれないっていう可能性だってあるでしょう?」 瞬がそこまで言った時だった。 それまで沈黙を守っていた氷河が、不機嫌そうに口を開いたのは。 「確かに、アインシュタインの相対性理論は、時間と空間は絶対的な概念ではなく相対的な概念だと言っている。しかし、現実のところ、クルト・ゲーテル、キップ・ソーン、リチャード・ゴット、物理学で世界最高の頭脳を持った学者たちは皆、理論上人間は未来には行けるが過去に行くことは不可能だと結論づけているんだ。人間は、未来に行くことはできるが、過去には戻れない。過去をやり直すことは誰にもできない」 氷河とて、母の命を救えるものなら、そうしたい。 しかし、彼は、そうすることで彼の“現在”を失いたくはなかった。 母の命を取り戻すことで氷河が失う(かもしれない)もの――その中には“瞬”がいるのだ。 「氷河……」 氷河が憎悪をたたえた目で瞬を見やり、瞬が怯えの色をたたえた目で氷河を見上げる。 二人が見詰め合うのを見て、星矢は慌てて話題を脇に逸らした。 「へ……へえー。未来には行けるんだ。うん、どうせ行けるのなら、過去より未来の方がいいよな。未来に行ってさ、宝くじの当たり番号を確かめて現在に戻ってきて、その番号の宝くじを買えば、億万長者になれるだろ」 「そんな金を手に入れて、おまえが買うものといったら、せいぜい10円のうまい棒を100本とか、そんなところだろう」 紫龍がすかさず、星矢の振った話題に乗る。 星矢は大袈裟に口をとがらせて、彼を過小評価してくれる仲間を睨みつけた。 「馬鹿にすんなよ!」 「違うのか?」 意外そうに問い返す紫龍に、星矢が胸を張って答える。 「億万長者になったら1000本は買うさ」 「……」 星矢のような人間は、決して億万長者にはなれない。 また、なっても無駄である。 何より彼の億万長者ストーリーには大きな穴があった。 氷河は、本気で瞬と喧嘩をするつもりはなかったらしい。 くだらないと言わんばかりの態度を隠しもせず、だが彼は――彼もまた、星矢の振った話題に参加してくる。 「人間は過去には戻れないと言ったろう。おまえが未来に行くのは勝手だが、未来に行ったおまえは、その宝くじが売られている過去に戻ってくることはできない」 「……意味ねーじゃん。行ったら行ったっきりかよ」 「そういうことだ。詰まらん夢物語はやめろ」 吐き捨てるような口調で、氷河が星矢の夢物語を断じる。 その“詰まらん夢物語”を最初に言い出したのは瞬だとも言えず、星矢はぷっと頬を膨らませた。 「俺だって本気で宝くじで うまい棒を買おうなんて考えたわけじゃないぜ! 話のための話ってもんが、世の中にはあるんだよ!」 星矢がふてくさって横を向いたところでちょうど、ラウンジのセンターテーブルに置かれていた時計の長針と短針が重なって垂直に上を指し、アテナの聖闘士たちに今日の終わりを知らせてきた。 「もうこんな時間か。今日は映画を2本も観たからな」 紫龍の呟きが、本日のお開き宣言になる。 詰まらない夢物語は映画の中だけで十分ということで、その件は決着がついた――はずだった。 |