「あほくさー。だいたい、今更、氷河に“普通”なんてもん求めてどーすんだよ」 叶わぬ恋と諦めていたものを その手にした感動に、二人は二人だけで浸りたかったらしい。 瞬は氷河に手を引かれて、嬉しそうにラウンジを出ていった。 星矢は、二人の仲間の姿が消えた室内に、気が抜けたような声を響かせることになったのである。 氷河のためを思うがゆえの健気な嘘――と言えば聞こえがいいが、星矢にしてみれば、それは全く無意味で完全に馬鹿げた虚言としか思えなかったのだ。 変人揃いのアテナの聖闘士の中でも1、2を争う変人の“普通”を守るための嘘など、極北の空に輝き浮かぶオーロラをガラスのケースに閉じ込めて日本に持って帰ろうとすることより空しい行為だと、星矢は思った。 星矢の意見に賛意を示しつつ、紫龍が苦笑する。 「だが、まあ、よかったじゃないか。失恋して落ち込んでいる人間が二人も 同じ屋根の下にいたのでは、俺たちまで気が滅入ってくる」 「それはそうだけどさぁ――」 もちろん星矢は、瞬の不可解な言動から始まった一連の騒動が『めでたしめでたし』で終わったことを非常に喜んでいた。 失恋したせいで生きる希望を見失った人間が、人類の希望と未来を守るために必死に戦うことができるはずがない。 氷河と瞬は、今では自分たちの未来と希望を確信できているだろうから、二人の幸福を守るためにも、今までに増して真剣にアテナの聖闘士としての仕事に励むに違いないのだ。 しかし、星矢には、二人の恋の成就に納得できないものを感じていたのである。 「あのさ、氷河は瞬とアレをしたいんだよな」 「目的はそれだけではないだろう」 紫龍は、星矢の懐疑に気付いていたようだった。 仲間の迷いの時を長引かせまいとの気遣いからか、彼の返答は迅速で、かつ逡巡の響きがなかった。 「でも、それ抜きなら仲間のままでいてもいいじゃん。なのに、なんで――」 なぜ、氷河と瞬は、二人の間にあるものが“友情”ではなく“恋であること”を求めるのか。 それが、星矢にはどうしても納得できないことだったのだ。 アテナの聖闘士同士の“恋”の必然性に得心できずにいる星矢に、紫龍が少し意地の悪い笑みを浮かべてみせる。 「仲間同士だと、気安く甘えられないじゃないか。それともおまえは、氷河に『寂しいから抱きしめてくれ』と言われたら、喜んで奴を抱きしめてやるのか」 「うええぇぇ〜っっ !! 」 強烈に気持ちの悪い紫龍の例え話に、星矢は本気で嘔吐感を覚えた。 氷河を抱きしめてやることができるかどうかという問題以前に、そんな泣き言を言って慰めを求める氷河を、仲間として、男として、星矢は認められなかった。 星矢の実にわかりやすい反応を見て、紫龍が僅かに唇の端を歪めて笑う。 「まあ、そういうことだ」 「なんとなく……わかったような気がする……」 星矢には到底認められないことを、瞬には認め受け入れることができるのだろう。 瞬は、“友情”より“恋であること”を選んだのではなく、瞬が氷河に抱いていた気持ちは 最初から“恋”だったのだ。 もちろん、氷河もそれは同じで、彼の目的もアレだけではない――のだ。 「あ、でも、俺、瞬なら そうしてやってもいいかも」 なんとか気を取り直した星矢が、実に危険なことを真顔で呟く。 紫龍はおもむろに渋い顔になった。 「氷河の前では、そういうことは言わない方がいいぞ」 決して恋ではないにしても、瞬の側にいる“仲間”が瞬に対してそういう感情を抱いていることを知ったら、全く普通でないあの男は、それこそ どんな普通でない行動を起こすかわかったものではないのだ。 紫龍の忠告の意図を理解した星矢は、紫龍の親切な忠告に即座に力強く頷いた。 無理無謀を絵に描いたような星矢でも、やはり命は惜しかったのである。 Fin.
|