『可愛いものは、その存在自体が卑劣である』という氷河の認識は、どう考えても間違っている。
そして、その間違った認識が瞬を傷付けている。
この間違った事態を正すのは、氷河と瞬の仲間である者の義務だと、星矢は考えた。
そこで、星矢はとりあえず、氷河を可愛いものに慣れさせるところから始めてみることにしたのである。

そういうわけで、翌日の午後。
アテナの聖闘士たちは、星矢によって城戸邸のオーディオ・ビジュアルルームに招集をかけられた。
いったい何事かと訝りつつ 指定された場所に向かった彼等は、そこに、今日の午前中いっぱいをかけて、城戸邸の映像データライブラリーから選び抜いた感動動物ドキュメンタリーの上映準備をしている星矢の姿を見ることになったのである。

星矢の考えは、至極単純だった。
それが犬猫等の愛玩動物だから、彼等の姿が可愛いことが、氷河の目には媚びに映り、彼は不快になるのである。
だがこれが野生動物であったなら、話は違ってくるだろう。
弱肉強食の過酷な自然の中で生きる動物たちの姿が たまたま・・・・可愛いだけだったなら、氷河とて不快になりようはあるまい。
そう星矢は考え、そして氷河に見せつけたのである。
アフリカのサバンナで、必死に生き延び、成長していくライオンの子供、チーターの子供、インパラの子供、ヌーの子供たちの“可愛らしい”姿を。

「どーだよ、この健気な姿! 小さな身体で親のあとを必死についていく子ライオンたち。こいつらは、飼い主に媚びを売るためじゃなく、一刻も早く強い力を持った成獣になるために、必死になって生きてるんだぜ!」
これなら氷河も文句のつけようはあるまいと、星矢は自信満々で言い放った。
が、氷河の反応は、星矢の期待していたものとは、『完全に』と言っていいほど違っていたのである。

「健気も何も親に守られているだけじゃないか。このガキ共は非力なことや小さいこと、つまりは可愛いことを盾にして、親に守られようとしているだけだ。俺は心から親というものに同情する」
「おまえな〜」
ここまでくると、氷河はわざとひねくれたものの見方をしてみせているのだとしか、星矢には思えなかったのである。

しかし、氷河は自分の意見こそが真っ当で正論だと信じているようだった。
彼の声は確信に満ちており、また躊躇というものが毫ほどにも含まれていない。
「だから、俺は可愛いと言われるものが大嫌いなんだ。頼りなげな外見や非力や無能を 生きるための武器にしようとする、その姿勢が気に食わん。可愛らしさで他者に守られようとする行為は、打算的で卑劣だ」

氷河は、瞬がそうだと名指しで言うようなことはしなかった。
無論彼は、瞬を非力な存在だと思ってもいなかっただろう。
だが、たとえば瞬の兄は、瞬が危地に立つたびに、弟を守るために飛んでくる。
弟が もはや非力な子供ではないことを知っていても、一輝は毎回毎回同じことを繰り返すのだ。
しかし、もし瞬がカシオスの顔をしていたら、はたして一輝は最愛の弟を救うために毎回律儀に弟の許に飛んでくるだろうか――?

そう考えると、星矢は自信を持って『それでも一輝は来る』と言い切ることはできなかった。
瞬は確かに、人に『守ってやりたい』と思わせる外見を備えている人間なのだ。
星矢に確信できることは、『だが、それは瞬に責任のあることではない』ということだけだった。
それで瞬が氷河に嫌われてしまうのは、あまりに理不尽だ――ということだけだったのである。
「自分だって見てくれだけの男のくせに、何言ってんだよ! そりゃあ、俺だって誰だって、てめーみたいな可愛げのない奴を守ってやろうとは思わないだろうけどさ、それはおまえのツラが可愛くないからじゃなく、その性根が可愛くないからだ!」

アテナの聖闘士たちが“仲良し”であり続けることを願って骨を折ったというのに、その苦労が全く報いられなかった――。
腹を立てたくなる星矢の気持ちもわからないではなかったが、これでは氷河と瞬が“仲良く”なる前に、氷河と星矢の仲が破綻することになるだろう。
それは本末転倒というものだった。
そう考えた紫龍が、興奮気味の星矢をなだめにかかる。

「まあ、落ち着け、星矢。氷河が可愛いかどうかということは別問題としても、氷河は自分が非力で守られることしかできなかった子供の頃に、自分を守ってくれた人を失う経験をしているんだ。いろいろと思うところもあるんだろう」
「そんなら、自分限定で自分のキレーなツラだけ嫌ってればいいだろ! 瞬までひとくくりにして嫌うことはないじゃないか!」
「誤解するな。俺は、瞬を他の奴等とひとくくりにはしていない。俺は、瞬の顔が世界でいちばん嫌いだ」

「……」
淡々とした口調の氷河の断言に、星矢は息を呑んだ。
瞬も、これはさすがにはっきりと つらそうに顔を俯かせる。
なぜここまで氷河は瞬を嫌うのか。
星矢には、氷河は、瞬が傷付くことを望んでいるのだとしか思えなかったのである。

「まあ……嫌いは好きの裏返しということもあるからな」
紫龍は実に素早いフォローを入れたが、そう告げた紫龍自身にも、そのフォローが、瞬を慰めるためのものなのか、星矢の怒りを和らげるためのものなのか、よくわかっていなかった。
彼とて、どこまでも無益な主張を続ける氷河に憤りを感じ始めていたのだ。
当然、そんな紫龍の言葉で、瞬が慰められ、星矢の怒りが静まるはずもない。

「好きの裏返しで、『世界でいちばん嫌いだ』とまで言う奴がいるか !? 」
紫龍に反駁してから氷河に向き直り、星矢は怒鳴りつけるように氷河を問い質したのである。
「おまえは瞬が醜くなったら、瞬の顔を好きになるのか!」
――と。
「なる」
「へ……」
あまりに即答、あまりに確答、あまりに端的な氷河の返答に、星矢が何度目かの絶句をする。
紫龍は、深く大きな溜め息を洩らした。

「……そういうのも、ある種の面食いと言えるのかもしれないな。いわゆるゲテモノ好きか」
「ゲテモノ好きもイカモノ食いも、そんなことは氷河が勝手にすりゃいいことだけど、でも『世界でいちばん嫌い』はないだろ、『世界でいちばん嫌い』は!」
「星矢、繰り返すな」
紫龍にたしなめられて、星矢ははっと我にかえった。
仲間たちの横ですっかり項垂れている瞬の様子を見て、自分が仕様のない失言をしてしまったことに気付く。
星矢は、だが、どうしても己れの不注意を反省する気になれなかったのである。
代わりに星矢は、自分に失言をさせた氷河を恨んだ。

「平気だよ。気にしないで」
瞬が、氷河の嫌いな“可愛らしい”様子で、実に健気に仲間を気遣ってみせる。
とはいえ、瞬は本当に平気なわけではなかったらしい。
一目で無理に作ったとわかる微笑を目許に刻み、瞬はそのまま ふらふらとオーディオ・ビジュアルルームを出ていった。

瞬に少し遅れて、氷河もまたその部屋を出ていく。
苛立ちが極まりつつあった星矢に、彼は、
「つまらん小細工はするな」
という、全く可愛げのない捨てゼリフを残して、その場から姿を消していった。






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