いつもならカイロで済ませる衣料品や日用品の買い出し先をトーキョーに変えたのだと、彼女は屈託のない声で瞬に告げた。
荷物は既に船便で送り出したらしく、ごく身軽な様子で城戸邸にやってきた彼女は、邸の主人に滞在の許可を得てから、瞬の前に颯爽とその姿を現した。
最近何かと多忙を極めている沙織が早々に席を外すと、ジュネは挨拶らしい挨拶もなく、城戸沙織の姿を飲み込んだドアに一瞥をくれてから、瞬に尋ねてきた。

「あの娘がアテナだってのは ほんとかい?」
「僕たちはそう信じてますけど」
「ふうん。まあ、悪い娘じゃなさそうだけどね。好きなだけ、ここにいていいって言ってくれたし。ただし普通の格好をすることって条件をつけられたけど。おかげでこんな動きにくい格好をしてるってわけさ、このあたしが」
「普通の格好ですか、それが」

ジュネの考えている“普通の格好”とはどんなものなのかを一度確認してみたいような気もしたのだが、瞬は結局そうするのをやめた。
聞くのが恐かったのである。
ジュネは、発色系ピンクのキャミソールと極めて斬新なスカートラインを呈した黒のフレアースカートを身につけていた。
長いスカートが鬱陶しかったのか、彼女はそのスカートの裾を自分の手で破り引きちぎったらしい。
彼女は まるでシダの葉を幾枚も重ねて作ったようなスカートを、その脚にまとわりつかせていた。

「ここに来る前にあちこちの街を歩いてみたんだけど、いい感じの短いスカートが見付からなくてね。あたしがこの脚線美を隠してるのは罪ってもんだろ」
ジュネはそう言うと、自慢の脚線美を見せつけるように、その右脚を前方に120度ほどの角度をつけて勢いよく振り上げた。
瞬の弟子だというジュネの聖闘士らしからぬ振舞いに、その場に居合わせた星矢たちがあっけにとられている。
いったい瞬の修行地はどういうところだったのかと星矢たちが疑っているのが一目瞭然で、瞬は仲間たちの前で少々不自然な作り笑いを浮かべることになってしまったのである。

なにしろジュネは、女であることを捨てた証であるはずの仮面を、『日本は湿度が高いねー』という理由にもなっていない理由で、最初から外していた。
見るからに“女”な瞬の姉弟子の登場は、シャイナや魔鈴タイプの女聖闘士しか知らない星矢たちには、珍奇で珍妙で思いがけないものだったのだ。
世界の珍獣コビトカバに出会ったようにぽかんとしている瞬の仲間たちをぐるりと見渡し、ジュネが僅かに肩をすくめる。

「んーと、瞬の“兄さん”はいないみたいだね。瞬の実兄なら相当いい男だろうと期待してたのに、残念だわあ」
いったいこの女聖闘士は何をしに日本までやってきたのか――と、思ったことを口に出さないだけの分別は星矢たちにもあった。
もっとも、そんな分別がなかったとしても、彼等は自分の考えを言葉にすることはできなかっただろう。
そうするより早く、彼女の方が先に、瞬の旧友たちの品定めに取りかかっていたのだ。

「察するに、あんたが元気で無鉄砲な星矢ちゃん、こっちが親切で落ち着いてるけど、切れると支離滅裂になる紫龍。そして――」
最後の一人に向き直り、ジュネは意味ありげな目をしてゆっくりと顎をしゃくった。
「あんたが氷河。想像してたよりずっと綺麗なオトコじゃない」
感心したように告げるジュネを下目使いに見やり、氷河がその不機嫌を隠そうともせずに、
「それはどうも」
と抑揚のない声で答える。

いかにも気のない氷河の反応に、ジュネはむしろ興が乗ってしまったらしい。
氷河の無愛想を楽しみ からかうように、彼女は氷河に笑いかけた。
「てことは、あんたがあたしの可愛い瞬をいじめてくれたいじめっ子なんだよね?」
「いじめっ子? 何のことだ」
「ジュネさんっ!」

瞬が慌てて横からジュネの手を引っぱり、彼女を氷河から引き離す。
それから瞬は、この 恐いもの知らずの女聖闘士に素早く耳打ちをした。
「そういうことを言って、氷河に昔のことを思い出させないでください」
瞬の囁きに、ジュネが軽く瞳を見開く。
ちらりと氷河の方に視線を投げてから、ジュネは怪訝そうな顔になった。
「それって、いじめっ子が自分のした いじめを忘れてるってこと? じゃあ、おまえは今はあいつにいじめられてないのかい?」
「……」

問われた瞬は、即座にジュネに頷くことはできなかったのである。
確かに瞬は、氷河に昔のようには いじめられていなかった。
次から次へと現れてくる敵を撃退するのに手一杯で、仲間内で いさかいを起こしている暇がなかったのは事実である。
同じ敵に対峙して共に戦う二人は、傍目には“いいコンビ”に見えてすらいるのかもしれないと、瞬は思わないでもなかった。

しかし瞬は――今の瞬は、氷河が自分をいじめないことを、なぜか“無視”と感じてしまっていたのである。
敵が現われれば、氷河は共に戦ってくれる。
だが、二人の前に敵がいない時には、氷河は瞬に話しかけることすらしなかった。
皮肉の一つ、嫌味の一つ、からかいの言葉一つ、彼は瞬に投げてこないのだ。






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