幸福の庭






その庭は、緑の色でできていた。

輝くように生き生きとした草木の緑色は、晩春から初夏にかけてのもの。
それらを明るく輝かせる陽光は優しく、だが、これから真夏に向かう季節特有の力強さを秘めている。
周囲には石造りの塀があるらしいのだが、それは庭の周囲に植えられた楡の木の枝や葉でほとんど見えなかった。
下草は刈り揃えられた芝生ではなく、おそらくはわざと自然のそれに見えるように少し長めで不揃い、草の葉そのものも柔らかい。
周囲を高木で囲まれた庭のそこここには、大人の胸から肩のあたりまでの高さを持つ種々の低木が植えられていて、それらの木々は ささやかな木陰を幾つも作り、季節を間違えて降ってきた雪のように白く小さな花をつけているものもある。

瞬は、それらの低木が作る一つの木陰の中にぺたりと座り込んでいた。
寂しいような悲しいような、それでいて うきうきするような気持ちで。
「瞬、ここにいたのか」
やがて、瞬の待っていた人が 小さな木陰の中にうずくまっている瞬を見付け、その手を瞬に手を差し延べてくる。
明るすぎる陽光を背にしているせいで顔は陰になり判然としないのだが、彼の髪は、瞬の目には 陽光よりも眩しく輝いて見えた。

その声と姿を認めた途端、瞬は自分の中にあった寂しさや悲しさの感情を忘れ、ただ喜びだけに支配される。
どうしようもなく胸が弾み、同時に瞬は、小さな冒険に挑もうとする時に子供が感じる 短いためらいのようなものを覚えた。
だが、そのためらいは、瞬の臆病な心を奮い立たせるためのエッセンスのようなものにすぎない。
瞬はすぐに、自分に差し延べられた彼の手を取り、
「――!」
と、彼の名を呼んだ。


――そこで、いつも目が覚める。
瞬は、決して その人の顔と名前を確かめることはできなかった。

夢の中で、瞬は小さな子供だった。
5、6歳。もしかしたら もう少し年かさなのかもしれなかったが、いずれにしても10歳にはなっていない。
瞬を見付けてくれたその人を、夢の中の瞬が大好きなことは、その夢を見ている瞬にもわかった。
その人に見付けてもらった瞬は幸せで――息が詰まるほどに幸せで――、それまでふさいでいたはずの瞬の気持ちは あっという間に晴れ晴れとしたものになるから。

幸せで――これ以上ないほど幸せで、だから、瞬は、その夢から覚めた時には いつも泣いていた。
幸せすぎるからなのか、その幸せな光景が夢だとわかっているからなのか、目覚めた瞬間に夢と気付くからなのか――とにかく、その夢を見た朝、瞬の頬はいつも涙で濡れているのだった。

「……あの庭はどこにあるんだろう」
寝台を下りた瞬は、独り言を呟きながら、自分が暮らしている小さなログハウスの窓の外に視線を巡らせた。
ここは女神アテナと彼女を守り従う黄金聖闘士たちの住まう聖域――の片隅。
湿度が低く地味ちみの痩せている大地は、剥き出しの乾いた土と石くれで覆われており、重たげに葉を茂らせた樹木どころか雑草すら生えていない。
大理石の建物が並び、その向こうに見える小高い丘には、教皇の間のある建物とアテナ神殿が、陽炎の中に霞む幻のように浮かび建っている。

瞬はここで生まれ、ここで育った。――と聞かされていた。
両親は、戦いではないことでアテナに使える者たちだったのだそうだが、瞬が生まれて間もなく、ある戦いに巻き込まれ命を落としてしまったらしい。
親のない赤ん坊を哀れに思った聖闘士やアテナの従者たちは、アテナの許しを得て、瞬を聖域内で養育することにした。
長じてから、瞬は聖域の片隅に小さな家をもらい、今は黄金聖闘士たちの使い走りやアテナの住まいの雑用をして日々を過ごしている。

聖域に住まう者はその大半が、攻守の別はあっても戦いを生業なりわいとする者たちである。
だが、瞬は全く その素養を持ち合わせていなかった。
本来はどんな人間でも身に備えているという“小宇宙”という力を、自分の身の内に感じたこともない。
戦うことでアテナに仕えることのできない我が身を不甲斐なく思うことは幾度もあったのだが、アテナは彼女の無力なしもべを責めることは決してしなかった。

「瞬は優しすぎて、戦いには向いていないのだと思うわ」
アテナはそう言って、この聖域で最も非力で役に立たない人間に、分不相応なほど目をかけてくれていた。
戦うことでアテナの寛大と優しさに報いることができないのなら、戦い以外の何事かで――と思うのだが、瞬は戦い以外のことでも ほぼ無能無力で、瞬はそんな自分をいつも歯痒く思っていたのである。






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