瞬のいなくなった沙羅双樹の苑には、そうして、1本の沙羅の木と“最も神に近い男”だけが残された。 『一度でも、人を愛し愛され、信じ信じられることを確信できた幸福な人間は、寂しいことに慣れてしまったりしないと思う』 一人でいることなど平気なはずだったのに、その苑で、シャカは不思議な寂寥感を感じていた。 自分をそんなふうに――まるでどこにでもいる ただの人間のように――したのは、いったい誰だと考える。 彼が思い浮かべたのは、生意気で馴れ馴れしい少女めいた少年の姿ではなく、彼の同輩たち――信じ信じられていると確信できる仲間たちの姿だった。 「ふん。そういうことか。あいつらのせいで、私は寂しいのだ」 だが、その恨みを仲間たちにぶつけ、彼等を責めることはできない。 『貴様等のせいで、私はこんなに傷付いている』などという泣き言を、“最も神に近い男”は どうあっても口にするわけにはいかなかった。 瞬が彼の仲間たちと共に聖域を去り、沙羅双樹の苑に静寂が戻ってまもなく。 シャカは、彼のその庭で、一人の黄金聖闘士の訪問を受けた。 天秤座の黄金聖闘士――脱皮を果たして若返った童虎が、温かく親しみやすい眼差しを“最も神に近い男”に向けてくる。 「何か不穏な動きでも?」 無表情を装って尋ねたシャカに、童虎は大袈裟な身振りで乙女座の黄金聖闘士の懸念を打ち消した。 「いやいや。アンドロメダがいなくなって、おまえが気落ちしていると聞いたものでな。皆で、“最も神に近い男を励まそうツアー”の計画を立てたのだ。明朝6時出発。そなたが主賓だから、不参加は認められんぞ」 「は……?」 「大型の観光バスを借り切って、ドイツ・ロマンチック街道を見学、途中ハーデス城に逸れて冥界に下り、嘆きの壁の穴の前で皆揃って飲めや踊れの酒盛りをする。どうじゃ?」 「よく、そんな馬鹿げた企画を思いつくものだ」 さすがに無表情を維持しきることができず、シャカは呆れた顔になった。 童虎が、機嫌を損ねたふうもなく鷹揚な笑みを作る。 「こういうのは、馬鹿げていれば馬鹿げているほどいいのじゃ。おまえが、たとえ仲間たちとでも馴れ合うことを好まぬことは知っているが、年に1度くらいなら羽目を外して鬱憤を晴らすのもいいだろう」 「……そうですね」 孤独というのなら、天秤座の黄金聖闘士こそが身に染みて経験してきたことだろう。 同じ時代に生を受け共に戦った仲間たちを失い、それでもアテナと地上の平和のために長い年月を耐えてきた天秤座の黄金聖闘士。 聖闘士といえども一個の人間には、それは無限にも思えるほどに耐え難い孤独である。 愛し愛されていること、信じ信じられていることを確信できる仲間を持っていたがゆえに、寂しさに慣れてしまえない彼を、だが長い孤独に耐えさせたものもまた、彼の仲間たちの愛と信頼だったに違いない。 シャカを寂しさに慣れることのできない男にしたのは、彼の仲間である黄金聖闘士たちだった。 だが、彼等は、孤独に耐える力をも、彼等の仲間に与えてくれる者たちなのだ。 翌日、聖域の黄金聖闘士たちと20種200本の酒を積んだ大型観光バスは、意気揚々と“最も神に近い男を励まそうツアー”に繰り出した。 そのツアーで“最もトラに近い男”という二つ目の異名を仲間たちから与えられたシャカは、聖域に帰ってくると、沙羅双樹の苑に もう1本の沙羅の樹の苗木を植えたのだった。 Fin.
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