丘の麓には、馬に乗った大人なら橋に頼らなくても渡りきることができるほどの川が流れていた。 流れは穏やかで、その両岸では、今は秋の素朴な野草が控えめな花を咲かせている。 川の向こうはリビュアの領地。 そこは、ヒョウガがまだ少年だった頃に亡くなった母の生まれ育った土地だった。 さして広くはないが、岸のこちら側にあるスキュティアの地同様、実り豊かで美しい土地である。 緑の牧草地、秋の陽光を受け金色に輝く小麦畑。 スキュティアとリビュアは この国で最も美しい場所だと、ヒョウガは信じていた。 晴れた秋の日の午後。 川の水は、春に高い空でさえずるヒバリの鳴き声ほどの音も立てていない。 このような川など、その気になればすぐにでも渡ることができた。 だが、ヒョウガが“その気”になるということは、スキュティアとリビュアの領地の間に争いを起こす可能性を生むことでもある。 しかも今、春小麦の収穫の時期、スキュティアの領主であるヒョウガには、それは到底できることではない。 近くて遠いリビュアの地を、ヒョウガは小高い丘の上から騎乗のまま眺めていた。 以前は、リビュアの領主・領民と スキュティアの領主・領民は不仲ではなかった。 少なくとも、ヒョウガの母がスキュティアの先代領主であるヒョウガの父に嫁いできた頃には、二つの領国は良好な――親密と言ってもいい――関係を保っていたのだ。 ヒョウガの母は、望まれてスキュティアに嫁いできた ヒョウガが生まれた時には、リビュアの祖父――ヒョウガの母の父――から祝いの品として、3頭の駿馬と箱いっぱいの上等の産着が届けられた。 二つの国が不仲になったのは、その祖父が亡くなってからのことである。 ヒョウガの母は、彼の一人娘だった。 リビュアの領主亡き後は、ヒョウガの母がその領地を継ぎ、二つの土地は併合され、いずれはヒョウガのものになることになっていた。 無論、それには国王の許可が必要なのであるが、スキュティアの家は国内有数の富豪。 国王ではなく領主に忠誠を誓う50人もの騎士から成る独自の騎士団も備えている。 王がスキュティアとの間に事を起こすことは考えられず、その継承は速やかに行なわれるはずだったのだ。 そこに突然現れたのが、リビュアの祖父に追放処分を受けていた、ヒョウガの母の従兄と名乗る男だった。 リビュアの家をなくすのは惜しいと尤もらしい理屈を並べ立て、彼はリビュアの領地を我がものにしようと、姑息な画策を始めたのである。 折悪しく、国王が崩御。 妾腹の王子が、臨終の 当初、妾腹の王子は優勢だった。 前王が気位の高い正妃を疎んじていたのは知らぬ者のない事実で、妾妃に託された遺言には信憑性があったのだ。 ヒョウガの母の従兄は、その妾腹の王子に が、結局、問題の遺言が王の死後 妾妃の手によってでっちあげられたものであることが証明され、王位は本来の継承者である正妃の生んだ王子の手に帰した。 新王の追求を逃れるためヒョウガの母の従兄はいずこかに逐電。 王位同様、リビュアの領主の座も その正統な後継者であるヒョウガのものになるかと思いきや、新たに即位した若い王は、彼の王位奪還に功績のあった寵臣に、その土地を与えてしまったのである。 その頃には、二つの領地の民たちはすっかり不仲になっていた。 ヒョウガの母の従兄がリビュアの領主になった時から――とはいえ、彼が正式なリビュアの領主であったことは1日たりとてなかったのだが――、彼はスキュティアの領地の農民に嫌がらせを続けていた。 夏の水不足の時期には、川を堰きとめてスキュティアにまで水がまわらないようにし、多雨の時には、わざと水を塞き止めてから一気に大量の水を放出し、スキュティアの麦畑を水浸しにする。 半年間の苦労を、文字通り 水の泡にされてしまっては、スキュティアの領民も手をこまねいてはいられない。 リビュアの領内に入り込んで 堰を壊したり、 領民たちの間の禍根は、偽りの領主がリビュアから逃げ去ったあとも根強く残り、以前は二つの領地をつなぐためにあった橋も領民たちの手によって取り壊されてしまったのである。 |