星矢の投げやりな態度を、だが、瞬は事ここに至って 無視する暴挙に出た。
これまた平生の瞬なら決してしない行為である。
いつもの瞬なら、人が聞きたがらない話を無理矢理続けるなどということは、まずしないはずだった。
おかげで、星矢たちはますます、“おかしい”のは氷河ではなく瞬の方だという思いを深めることになったのである。

「昨日なんか、『俺がいなくなっても、おまえは大丈夫だな?』なんて、恐いくらい真剣な目をして、僕に訊いてきたんだから」
しかも、そうまでして瞬が語る話の内容は、星矢たちにとっては、やはりさほどおかしいことではないのである。
瞬の平生の判断力と平常心はいったいどこにいってしまったのだと、むしろ彼等は瞬の“おかしさ”の方を本気で心配し始めていた。

「それは、おまえの気を引くための手管の一種だろ。おまえに『いなくなったりしないで』とか何とか言ってもらって、いい気分になりたいだけ。氷河がほんとにおまえの側を離れて、どっかに姿をくらましたりするわけないじゃん」
「いわゆる 誘い受けだな。その気もないのに、意味ありげなことを ほのめかして、心配されたがるというガキのやり口だ」

星矢と紫龍は嘆かわしげに、氷河の子供じみた言動を、いかにもそれらしく解説してのけたのだが、瞬は彼等よりも氷河という男を知っていた。
その瞬から、すぐに星矢たちへの反駁の言葉が返ってくる。
「氷河がそんな まだるっこしいことするわけないでしょ! 氷河が僕に『側にいて』って言ってほしいと思ってるなら、氷河は『側にいてと言え』ってストレートに僕に要求してくるよ」
「それもそうだな」

言われてみれば、確かに瞬の言う通りである。
少なくとも この件に関しては、瞬の見方の方が正鵠を射ていた。
「とにかく変なの。自分の部屋の掃除もいつも僕任せだった あの掃除嫌いの氷河が、急に部屋の掃除を始めて、いろんなものを整理し始めたり、僕にマーマのロザリオくれたり、おとといなんか――」
気負い込んで氷河の“おかしさ”を語っていた瞬が、そこで言葉を途切らせる。
「おととい、どうしたんだよ?」
星矢は今度は親切に瞬に聞き返した。

なるほど氷河は“おかしい”人間であり、常識では測り切れない常識を持った男である。
その非常識な男は常識人とは異なり、好きになった相手に自分を実際よりも良く見せようなどという殊勝な考えを持っていない。
瞬は、素の氷河を知った上で彼を受け入れた大物なのである。
当然、瞬は、氷河を誰よりもよく知っていた。
その瞬が『おかしい』と言うからには――やはり氷河は“おかしい”のだ。

やっと星矢たちが、自分の不安と懸念を理解してくれた――。
そう思ったことで、瞬の張り詰めていた心の糸は少し緩んだのかもしれない。
星矢に問われたことに、瞬は、到底なめらかとは言い難い口調でぽつぽつと、彼を不安にした一昨日の氷河の言動を星矢たちに語り始めた。

それによると、一昨日の午後。
瞬は、資料室で、沙織に頼まれた資料のファイリング作業をし、氷河は、『こんなのは聖闘士のする仕事じゃない』とか何とか文句を言いながら、その作業を手伝っていた。
その氷河が ふいに黙り込んだかと思うと、長い間無言で瞬を見詰め続けた後、
『俺が、死んだ者たちのことをいつまでも引きずっていることを、死んだ者たちは喜んでいなかったと思う。過去のことは早く忘れて俺に幸せになってほしいと、彼等は思っている――おそらく。いや、きっと』
と、呟くように言ったのだそうだった。

突然氷河は何を言い出したのかと訝りつつ、それでも氷河の言う通りだろうと思って頷いた瞬に、氷河は重ねて、
『おまえは俺のことなんかすぐ忘れるんだぞ。その方が俺も安心できるから』
と、真剣この上ない目をして言った――らしい。

「あれじゃまるで氷河が……。氷河は自分がもうすぐ死ぬと思ってるみたいなんだよ!」
瞬はそれまで必死に涙をこらえていたらしかった。
その瞳に、ついに彼の最終奥義が にじみ始める。
「どうして……どうして氷河はあんなこと言うの…… !? 」
瞬の涙ながらの訴えに、星矢は大いに慌てることになったのである。






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