「氷河は――Yシャツのボタンもつけれないくらい不器用だもんね」
氷河の不器用を思い出した瞬が、力ませていた肩から力を抜く。

『マーマの手に似ている――』
不器用な男が彼なりに必死に考えた上での告白だったのだ、それは。
氷河がどういう男なのかを、瞬は今更ながらに思い出した。
氷河の人となりを思い出せば、彼の不器用の裏側にあるものが見えてくる。

「……すまん」
頭を下げてきた氷河に、瞬は首を横に振った。
「僕の方こそ、ごめんなさい。僕がもっとちゃんと氷河を見て、もっとちゃんと氷河の気持ちを考えていれば、わかったはずのことだった。そうできなかった僕が悪いの。ごめんなさい」

瞬にそんなふうに謝られてしまっては――氷河としても意を決するしかなかったのである。
男でも、恥ずかしいことは言わなければならないのだ。
だから、氷河は瞬に言った。
真正面から、瞬をしっかりと見詰めて。
「俺が好きなのは、おまえの手だけじゃない。俺は、生きているおまえの全部が好きだ」
「うん……あの、僕も」
ほのかに頬を染めた瞬が、こちらは こころもち瞼を伏せて、氷河の誠意に応える。

「え……あ、いや、その何だ……」
絶滅危惧種の明治男は、自分が言わない代わりに、他人にも一般的な恋の告白を求めるつもりはなかったらしい。
瞬にそれを与えられてしまった氷河が、大々的に赤面する。
「だから、その何だ……手……手は……大丈夫なのか」

望外の幸福に混乱し、感動のあまり挙動不審になりかけている自分をごまかすために、今となっては瞬の一部でしかないものの具合いに、氷河は言及した。
瞬が、気恥ずかしそうに氷河に頷く。
「うん。こんな手、なくなってしまえばいいって気持ちもあったけど、本当になくなっちゃったら、二度と氷河に気にかけてもらえなくなるって、ためらいもあったから……。平気」

瞬の答えに、氷河はほっと気を安んじた。
もうこんな詰まらないことで瞬を誤解させ悩ませるようなことはしたくないと、心から思う。
氷河は、その目許に意識して笑みを浮かべ、自身の軽率を後悔しているらしい瞬を力づけようとした。
「おまえはもう少しうぬぼれた方がいい。おまえの手は確かに綺麗だが、おまえの顔は世界屈指レベルで可愛いし、身体に至ってはその数十倍も優れものだからな。俺は夕べは、それこそ天国に招待されたのかと錯覚するくらい いい思いをさせてもらった」

「え……?」
最初、瞬は氷河が何を言っているのかが、よくわからなかったのである。
何を言われているのかを理解した途端、瞬は頬を真っ赤に染めることになった。

「あの馬鹿、調子に乗って……」
脇で仲間たちの恋の告白を聞いていた星矢が、氷河の不器用に呆れて舌打ちをする。
ここはどう考えても、身体面でのことではなく、心根の方を称賛すべき場面である。
瞬は、手だけに好意を持たれていることがつらかったのではない。
それがたまたま手だっただけで、手が脚でも顔でも、瞬は同じように傷付き悩んでいただろう。
そうではなく――瞬が好意を持たれたいと望んでいるのは、時と共に変化してしまう肉体的な部位ではなく、時が経っても変わらずにいるもの、瞬がこれまでの時とその意思で培ってきたものの方なのだ。
そういうものにこそ人は惹かれ合うべきだと、瞬は信じており、また望んでいる。

「マーマの手に似た手が好きだと言っている方が、清純派の瞬には まだ賢いアプローチ法だったな」
星矢同様、紫龍もまた、氷河のへたな対応に眉をひそめることになった。
無論、氷河には悪気はないのである。
瞬の優しさや強さ。そんなものへの好意は、今更言及するまでもないことだと、彼は思っているだけなのだ。
だが、彼が言うまでもないことと考えている事実は、言わなければわからないことでもある。

「瞬……?」
瞬が その身にまとう沈黙が何やら険悪の色を帯び始めていることにやっと気付き、氷河が瞬の肉体礼賛を中断する。
次の瞬間、氷河に与えられたものは、
「氷河のばかっ!」
という、瞬の罵倒だった。
言うなり踵を返して、瞬がラウンジを飛び出ていく。

「しゅ……瞬……?」
言葉を尽くして、瞬の手以外の部分を褒めていたというのに、瞬はなぜ急に怒り出したのか。
その訳がわからず、氷河はぽけっとその場に立ち尽くすことになった。
星矢と紫龍が、『処置なし』と言わんばかりの盛大な溜め息を洩らし、阿呆な男を見捨てて横を向く。

まともな恋の告白もYシャツのボタンつけもできない、白鳥座の青銅聖闘士・キグナス氷河。
彼はどこまでも不器用な男だった。






Fin.






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