いずれにしても、国内に不穏な空気が満ちていることは事実だった。 公爵は、この機に王位を奪うために動き出すのかどうか。 新王と新公爵の動向に、すべての国民の関心が向けられている。 自分の他意のないちょっとした言動が、翌日には思ってもいなかった風聞になって領内に広まっていることに、正直ヒョウガはうんざりしていた。 前王と父の死があとせめて10年遅かったなら、こんな煩わしい思いをせずに済んだのにと、天の采配を恨まずにいられない。 ヒョウガ自身も若かったが、新王はヒョウガ以上に若く、まだ18そこそこという話だった。 突然その手に絶大な権力が転がり込んできた年若い王。 唯一王家に対抗できる力を持った公爵家も代替わりしたばかり。 だからこそ二人の若い首長は血気に逸っているかもしれないと、国民の多くは怖れている。 前王が備えていたバランス感覚と忍耐を新王は有しておらず、前公爵が持っていた分別と判断力を新公爵は持ち合わせていない。 煽り おだてれば相争い始めるかもしれないと、二人は多くの人間に思われているのだ。 雲霞のように群がる陰謀家たちは、引きもきらずに新公爵の許に押しかけてくる。 鬱陶しい羽虫を追い払うために、いっそ独力で王位を簒奪してしまおうかと考えそうになるほど、彼等はうるさかった。 ヒョウガがそんなことを考えてしまうのは、彼が退屈しているからでもあった。 前王と前公爵がこの国を牛耳っていた争いのない10年間は、国と公爵領を安定させ、富ませた。 公爵になったヒョウガに領民たちが期待していることはただ一つ、“現状維持”。 ただそれだけなのである。 彼等の希望に沿っている限り、国王以上と言われる富と力をその手に入れても、ヒョウガにそれを行使する舞台は与えられない。 そして、安息と贅沢に価値を見い出すには、ヒョウガはあまりにも若すぎた。 更なる権力や富が欲しいわけではない。 ヒョウガが欲しているものは、困難に満ち達成の難しい“目的”だった。 言ってみれば、日々の生活に“張り”が欲しいのである。 自身の才と力を信じる一般的な若者が求める冒険の機会。 生まれた時から富にも権力にも恵まれているからといって、無分別な若者のように冒険に挑むことが禁じられるのは理不尽だと、彼は思っていた。 そんなヒョウガが、さしあたって、片付けなければならない問題は、半月後に迫った戴冠式で自分が新王に対しどういう態度を示すかを決めることだった。 しかし、これは 困難に満ち達成の難しい冒険と呼べるものなのか。 呼べるはずがないと思いつつ、それでもそれは なかなかに判断に迷う問題ではあった。 北方の大公爵は、王の戴冠式には 国を代表する大貴族の一人として参列しなければならない。 ヒョウガが王宮のある都に向かう際、どれだけの兵を連れて行くのか――に、まず人々の関心は寄せられていた。 が、この関心が曲者である。 ヒョウガが、疑心暗鬼を生まないように供の者は2、30人で十分と言えば、都に呼応して挙兵する者が大勢いるから 公爵は少人数で出立するのだという噂が立ち、いかにものんびりした物見遊山を装うべく、普通なら3日の旅に10日をかける予定を立てれば、それは新王を油断させるための芝居だと噂される始末。 いったい民は、内乱の勃発を恐れているのか、期待しているのか。 不可解としか言いようのない民衆の思考回路に、ヒョウガは苦笑いするしかなかったのである。 ともかくヒョウガは、戴冠式に出るための都への旅程を、多分に余裕のあるものにした。 都への旅のほぼ9割の距離を最初の5日でこなし、あと半日 馬を進めれば都に入ることができるという場所で、ヒョウガ一行はその前進を止めた。 そこに、今回の都入りの最後の宿に決めていた貴族の館がある。 少し進めば都に着き、自身の屋敷に落ち着くことができるのだが、ヒョウガはここに5日間 逗留するつもりでいた。 館は、ヒョウガの母の従妹――つまり、王室につながる姫君が嫁した伯爵家の別邸だった。 現在社交界の花形である伯爵夫人は、ヒョウガの母に憧れていたのだそうで、ヒョウガの母の存命中はもちろん死後も幾度か、国の北方にある公爵家を訪問しており、ヒョウガとは面識があった。 母を通じて、王室の血はヒョウガの中にも流れている。 だからこそヒョウガを持ち上げ焚きつけようとする者がいるのだが、今となっては、ヒョウガはその事実が恨めしく鬱陶しくてならなかった。 とはいえ、ヒョウガは、自分の身体に王家の血をもたらした彼の母を、彼女が亡くなって十数年を経た今でも深く慕い続けていたが。 |