王との会見の計画が ヒョウガには、伯爵夫人の歓待を受けるという厄介な大仕事が待っていたのだ。 もっとも、さすがに伯爵夫人は心得ていて、為すべきことを失って退屈している公爵のために彼女が用意していた娯楽は、ヒョウガの嫌いな舞踏会や賭け事などではなく狩りや騎馬槍試合だった。 とはいえ、それらのイベントは困難や支障を伴わない無難なものである――という一事によって、ヒョウガの心を真に楽しませるようなものではなかったのだが。 ヒョウガの心を楽しませたものは、そんなイベントよりも、むしろ、夫人の館にある画廊だった。 そこに彼の母の若い頃の肖像画があったのである。 ヒョウガの父に嫁ぐ直前に、まだ少女だった頃の伯爵夫人が、憧れの貴婦人との別れを惜しんで描かせたもので、その等身大の坐像は、モデルがよかったのか 画家の腕がよかったのか、非常に美しいものだった。 国王に勝るとも劣らない富と力を持つ公爵家に嫁ぐためとはいえ、ヒョウガの母が都を離れることが決まった時には、落胆した貴族の若者が宮廷には大勢いた――と、これは伯爵夫人に聞いた話である。 騎馬槍試合で連続して5人の騎士に打ち勝ったヒョウガに、その勝利を自身に捧げさせて悦に入っていた伯爵夫人が6度目の名誉を望んだ時点で、ヒョウガは闘技場から逃げ出した。 これでは どちらがもてなされているのかわからないではないかと独りごちながら、母の肖像の許に向かう。 そこには既に先客がいた。 シュンが――ヒョウガの母の肖像の前に立ち、白いドレスの貴婦人をうっとりしたように見詰めていたのである。 「おまえは、おまえが仕えている主人の奮闘振りを見ていなかったのか」 少しばかり――否、多分に――不快を覚え、ヒョウガはシュンの職務怠慢を責めたのだが、シュンは、彼の主人の不機嫌など意に介したふうもなく、呟くようにヒョウガに告げてきた。 「そんなはずはないのに――どこか僕の母に似てるの。早くに亡くなったので、母のことは あまりよく憶えてないんだけど、そんな気がする……」 「これは俺の母の絵だ」 「え……?」 シュンは彼の主人の不機嫌を無視したのではなく、絵に夢中になるあまり、そこにやってきたのが自分の主人だと気付いていなかっただけらしい。 振り返り、その場にいるのがヒョウガだと気付くと、シュンは慌てて その瞼を伏せた。 「す……すみません……!」 シュンは、自分が叱られたのだと思ったのだろう。 事実ヒョウガはシュンの怠慢を叱ったのだったが、申し訳なさそうに顔を伏せるシュンの様子を見て、自分はそんなつもりではなかったのに――と、彼は実に身勝手に思ったのである。 シュンの誤解(?)を解くために、口調をやわらかいものに変える。 「おまえが美しい訳がわかった。俺と同じ理由だな」 「僕はヒョウガほど……公爵様ほど美しくありません」 「……」 シュンがヒョウガの名を呼び捨てにする。 慌てて言い直したが、一度声に出してしまったものは なかったものにはできない。 それでヒョウガは、シュンはやはり貴族だと――それも相当身分の高い貴族の子弟だと、確信することになったのである。 シュンは、他人を名前で呼びつけることに慣れているのだ。 敵か味方か――それはわからなかったが、シュンは、王の即位の障害たり得る唯一の人間の動向を探りに来たのだろうと、ヒョウガは察した。 あるいは、これからヒョウガの敵か味方になろうとしていて、どう動くのが得策なのかを見極めるためにここにいるのだろう、と。 いったいシュンは誰の手のものなのか。 退屈な騎馬槍試合にうんざりしていたヒョウガは、俄然シュンの正体に興味を持つことになったのである。 シュンの正体に興味を持って、ヒョウガが最初に探りを入れたのは、当然のことながら この館の女主人だった。 なんといっても彼女は、シュンをこの館に招きいれた張本人なのだから。 「ごめんなさいね。内緒にしてって言われてるのよ」 彼女は心苦しそうな表情を作りながら、しかし、ヒョウガの疑惑に明確な答えを与えてはくれなかった。 だが、そんな答えからでも、ある程度の情報は得ることができる。 まず、彼女がシュンの正体を知っていること。 この伯爵夫人が富よりも権力よりも執着するのは美であるから、彼女が何らかの陰謀に加担していることは考えられない。 つまり、シュンは公爵への害意を抱いていないと、伯爵夫人は判断しているのだろう。 あるいは、害意があってもシュンには何もできないと踏んで面白がっているだけ――ということも考えられたが。 「シュンは、俺の母に似ているような気がする」 彼女の真意を探るべく、ヒョウガがカマをかける。 伯爵夫人は、だが、そんなものには引っかからなかった。 「あなたより? 綺麗なものは似るのよ」 「自分を見ていてもつまらん」 嫣然と微笑む伯爵夫人に、ヒョウガが憮然として応じる。 彼女はどうあっても、シュンの正体をヒョウガに知らせるつもりはないようだった。 「あら、私は好きよ。鏡に映る自分の姿を見てるのは。一日そうしていても飽きないわ」 「女はそうらしいが」 「“女”で一括りにするのはどうかしらね。あなたのお母様は違ってたわよ。あなたのお母様は、あなたを見ているのが何より好きな人だった」 見事に話を別方向に逸らされて――しかも、逸れた先がヒョウガには不愉快なものではなかったので――ヒョウガは伯爵夫人に口を割らせることを断念せざるを得なかったのである。 |