「王は……内乱を回避できるのなら、公爵様に王位を譲ってもいいという考えなの」 「王を……知っているのか」 全身の血がそこに集中し、熱を持っているようだったヒョウガの頭が急速に冷めていく。 なぜこの場面に他の男が割り込んでくるのだと、それまでは むしろ王に同情的だったヒョウガの心は、瞬時に王への憎しみでいっぱいになった。 「僕は、王に頼まれてここに来たの。公爵様に、平和を考えてもらえるよう説得してくれと言われて」 「おまえは王の何だ」 「小姓です」 ヒョウガの質問を見越し、用意されていたような即答。 シュンにしては素早すぎる返答が、逆にヒョウガの心に疑念を生んだ。 それを察したように、シュンが言葉を付け足してくる。 「僕の母が、王が幼かった頃の教育係だったんです」 シュンに嘘はつかれたくない。 シュンの説明は理に適っているというのに――ヒョウガは素直にその説明を信じることができなかった。 「こんな内偵のようなことを命じられるほど親密な仲というわけか。王と……特別な仲なのか」 「は……?」 ヒョウガに問われたことの意味が、シュンは今度はすぐにはわからなかったらしい。 一瞬きょとんと瞳を見開き、それからシュンは困惑した様子でヒョウガの疑いを否定してきた。 「あの、いえ」 シュンは、ヒョウガが抱いた考えに本気で驚いたようだった――ヒョウガにはそう見えた。 完全に――とまでは言えないが、一応の安堵が、ヒョウガの昂ぶっていた気持ちを落ち着かせる。 が、それも一瞬のことだった。 「王に会ったら、王位はいらないから、おまえをくれと言う」 「王に跪いてくれる?」 今は二人の話をしているというのに、なぜシュンは余計な男をこの場に登場させようとするのか。 ヒョウガは明確に機嫌を損ねて、シュンを怒鳴りつけた。 「俺が跪くのは、おまえに対してだけだ!」 「あ……」 ヒョウガの怒声に、シュンが全身をびくりと震わせる。 野暮で不粋で――この上 権力を 苛立ちを抑えきれずにいる自分に苛立ちながら、ヒョウガは内心でそんな自分を叱責した。 シュンに嫌われてしまったら、地位も権力も、自分が生きていることにすら、どんな意味があるというのだ。 シュンを恐がらせないように――ヒョウガは体勢を変えて地面に片膝をつき、シュンの前に実際に跪いてみせた。 シュンに愛されるためにならどんなことでもしたい気持ちを、シュンに伝えるために。 シュンは芝生の上に座り込んでいたので、それでもヒョウガの目は、シュンのそれよりも高い位置にあったのだが。 「その代わり、おまえになら幾度でも跪く。だから、キスさせてくれ」 「あの……」 高圧的に出たかと思うと、急に態度を変えて低姿勢になるヒョウガに、シュンは少なからず当惑しているようだった。 国王より強大な力を持つ公爵に本当に跪かれ、シュンは彼を それでもヒョウガが焦れるほど長い時間、シュンは悩み――最後にシュンは蚊が鳴くように小さな声で、 「……キスだけなら」 と、彼の下僕に寛大な許しを与えてくれたのである。 ぱっと瞳を輝かせたヒョウガは、シュンからの返事に間髪を置かずに彼の恋の主君を抱きしめた。 この忠誠を拒む機会を与えてなるかと言わんばかりの勢いで、シュンの唇に唇を重ねる。 ――やわらかい唇。 シュンは抗う様子もなく、彼の シュンは、ヒョウガからのキスを不快に感じているようには見えなかった。 ヒョウガを抱きしめ返すことまではしてくれなかったが、シュンは大人しくヒョウガの唇を受け止め、やがて自分の口中に忍び込んできた舌にも嫌悪めいた反応は示さなかった。 そのシュンが初めてヒョウガに抵抗らしい抵抗を見せたのは、ヒョウガの唇がシュンの唇を離れ、その喉元に下りていった時だった。 「キスだけって……!」 「唇にだけとは言っていない」 「そんな理屈……!」 身体を身じろがせ、ヒョウガの胸から逃れ出ようとするシュンを、だがヒョウガは解放しようとはしなかった。 今シュンを放してしまったら、シュンは二度とこの腕の中に戻ってこないかもしれない。 それは 単なる不安や懸念にすぎないと自信をもって言い切ることは、ヒョウガにはできなかった。 シュンを更に強く抱きしめ、シュンの唇の上でシュンに哀訴する。 「おまえが好きなんだ。せめて、おまえが王のものになっていないことを確かめさせてくれ」 「ぼ……僕の言葉は信じられないの。それなら何をしても何を聞いても無駄……んっ……」 シュンに言って欲しくない言葉は唇で封じる。 ヒョウガは、今だけは、自分の恋の成就に必要な言葉しか聞きたくなかったし、言いたくもなかった。 「確かめさせてくれ。俺を安心させてくれ。俺に見苦しい嫉妬をさせないでくれ。おまえが好きなんだ」 「ヒョウ……公爵……」 それが切実で嘘のない訴えであるだけに、シュンはヒョウガの哀願に無慈悲ではいられなかったらしい。 シュンが我を張ることに慣れていない人間であることは、シュンをほんの数日分しか知らないヒョウガにも容易に見てとれることだったし、逆にヒョウガは、我を通し続けてこれまでの人生を生きてきたような男だった。 それは至極自然な成り行きだったかもしれない。 「た……確かめるだけだよ」 シュンが、我儘な公爵に観念したように、ヒョウガに折れてくる。 “我儘な公爵”がそれをどうやって確認すると、シュンは思っているのか――。 おそらくシュンは、その確認方法がどんなものであるのかを わかっていない。 そう確信できた時点で、ヒョウガは、シュンと王の仲を疑う心をようやく放棄することができたのである。 「ああ、確かめるだけだ」 騙しているような気がして 少々気がひけたが、今すぐシュンを我がものにしたい気持ちは抑え難い。 決してそれは嘘ではない――自分自身に言い訳をしながら、ヒョウガはシュンの身体を抱き上げた。 |