「大胆すぎる! いや、無謀だ! 仮にも一国の王が自ら内偵だと!」 戴冠式を終えて正式にこの国の王となったシュンが、最初に王の私室に招いた臣下は、これまで彼の最大の敵と見なされていた北の公爵だった。 魔法にでもかけらたような戴冠式の幻想から現実世界に戻ってきた公爵は、その光栄に恐縮するどころか、相当に不機嫌だったが。 「自分の目で確かめたかったんです。僕の王位と治世の最大の障壁になると思われている公爵がどんな人物なのか。僕は国の平和を守りたかったから」 「王の歳は18と聞いていた」 「僕、あと数日で18になります」 『嘘だろう』と口を衝いて出かけた言葉を、かろうじてヒョウガは喉の奥に押し戻すことができた。 王の機嫌を損ねることは恐ろしくないが、シュンの機嫌を損ねることは恐ろしい。 昨日目覚めて、シュンの姿が伯爵夫人の館から消えていると気付いた時、ヒョウガの胸に去来したものは、『自分はシュンを永遠に失ってしまったのかもしれない』という絶望にも似た恐怖だった。 あんな思いだけは、二度と味わいたくない。 「王が、家臣である俺に身体を開いて、あんなに可愛い声で鳴いてみせたというのか。その真意も詳しく説明してほしいものだ」 「僕がそうした理由も言わなければならないの……」 「ああ、ぜひ言ってほしいな」 「いや。そんな……恥ずかしい……」 ほのかに頬を上気させ俯いてしまった この少年が、この国の王なのである。 ヒョウガは、自分が対峙している現実が、未だに信じられなかった。 『新王は……綺麗な男が好きみたいね』 殊更に意味ありげだった伯爵夫人の言葉を思い出して、軽く舌打ちをする。 彼女が言っていた『綺麗な男』というのは、つまりヒョウガのことだったのだ。 彼女は、シュンが何者なのかを知っていた。 この国の王位を争っている(と思われている)二人の要人を秘密裏に対面させて、二人が恋に落ちていく様を、彼女はどんな気持ちで眺めていたのか。 とんでもないことになってしまったと肝を冷やす一方で、これは面白いことになってきたと、北叟笑んでいたのかもしれない。 ヒョウガがシュンとの恋に落ち、恋する人に臣下の礼を取りさえすれば、内乱は回避できるのだ。 美しい人、美しい建物、美しい自然、何よりも人間の美しい心が損なわれる様が不愉快であるという理由で、彼女は争乱を憎む平和主義者だった。 「言え。俺はまんまとおまえの計略に乗せられて、満座の中で、俺がおまえの哀れな奴隷にすぎないことを披露する羽目になったんだ。それくらいの報いがなければ、やってられん」 ヒョウガがシュンに食い下がったのは、あの言葉を聞きたいからだった。 『ヒョウガが好き』という素朴で短く、だが すべての事柄の理由として受け入れることのできる あの言葉、あの感情。 その素朴な感情のせいで、ヒョウガは自分の敗北を認め、王の前に跪いたのだ。 その言葉をシュンからもらうことができれば、この国で最も有力な門閥の長である公爵は、年若い王に永遠の忠誠を誓うこともできる。 ヒョウガの期待に反して――シュンは、ヒョウガの望むものをヒョウガに与えてはくれなかった。 代わりにシュンは、それまで彼が掛けていた椅子から立ち上がり、ヒョウガの前に跪いた。 しかも、片膝ではなく、教会で神に祈る時のように両膝を床について。 王冠をその頭上に戴いた者は 神によって選ばれた者、神以外の者に跪くことがあってはならないというのに。 もっとも、その時シュンは王冠を戴いてはおらず、それゆえ、ヒョウガに跪いたのはこの国の王ではなく、シュンという名の一人の少年にすぎなかったのかもしれないが。 それでも、ヒョウガは、王のその振舞いに大いに慌てた。 「シュン……陛下」 「僕は、ヒョウガにキスしてもらうためになら、喜んでヒョウガの前に跪くよ」 「……俺のキスにそれだけの価値があるとは思えんが」 らしくもなく恭謙の態度を示すヒョウガに、シュンは軽く左右に首を振った。 「それを決めるのは僕だから」 「俺の唇は、図々しい上に行儀もよくない」 「知ってるけど、それでも欲しいから。僕たちが仲良くすることは、国の平和にもつながるし……。僕、ずっと、ヒョウガのお母様に憧れてたの。ヒョウガのお母様のように、国の平和と自分の幸福を両立することができたなら、それこそがいちばん幸福な人生の過ごし方だろう……って」 国の平和と王の幸福。 国が平和であれば、もちろん王は幸福なものであろうが、平和は時に王個人の幸福を生け贄として求めることもある。 その生け贄になる覚悟があるから、シュンは王であり、ヒョウガは王には なり得ないのだ。 だからといって、王が最初から自らの幸福を諦める必要もないだろう。 諦められてしまっては、ヒョウガこそが切ない。 「仲良く、ね」 皮肉な口調で、ヒョウガがその言葉を繰り返す。 王への反逆など、今となっては確かに思いもよらないことだった。 ヒョウガにとってシュンは、現実の世界でも、恋という次元ででも、ヒョウガの はるか上座に君臨する絶対権力者だった。 「怒らないで」 そう言ってヒョウガを見上げるシュンの瞳は綺麗に澄み、 怒ることができたならどんなにいいか――と、ヒョウガは胸の内で嘆息することになったのである。 王の無謀を非難している間も、シュンを抱きしめたくて、ヒョウガの腕はうずうずしていたのだ。 シュンは可愛い。 善良で――ヒョウガとは違い、自国の民のために犠牲になることも厭わないほどの決意を抱いて王座に就き、そして自らも幸福になることを望んでいる。 それは実現の難しいこと、なのかもしれなかった。 だが――。 考えてみれば、ヒョウガはそういう日々を望んでいたのだ。 裕福な公爵として贅に溺れ、怠惰に日々を過ごすのではなく、困難に満ち、達成の難しい“目的”に挑むこと、その日々――を。 この恋を貫き通そうと思ったら、この先、二人は様々な困難や障害に出合うに違いなかった。 同性の一国の王との恋など、まさにヒョウガが求めていた困難に満ち達成の難しい冒険以外の何ものでもない。 その数々の困難と障害を、愛の力で乗り越えるのだ わくわくする話ではないか。 その冒険に挑むために――跪いているシュンの両手を取り 王を立ち上がらせると、期待に胸を躍らせて、ヒョウガはシュンを抱きしめた。 Fin.
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