私は、氷河さんの素性を、ほとんどと言っていいほど知りません。
彼がこの教会に来て2年になります。
2年前の主の降誕祭の夜に、私は彼に初めて出会いました。
降誕祭の夜――つまり、イブの翌日の夜です。
日本では、街中が一斉にクリスマスの飾りを片付けてしまうあの夜に、私は氷河さんに出会ったのです。

日本人は、教会を困った人間の救護所と思っている節があります。
教会には実際そういう機能がないこともないのですが、時折犬や猫を捨てていく方などもいらして、さすがにそれには私たちも困っています。
私がこの教会に来て30余年、幸い私は経験がありませんが、私の前任者は人間の捨て子の世話をしたこともあると言っていました。

ともかく、そんなふうに、信仰上の救いではなく、生活面あるいは生物学的に命を永らえるための救いを求めて教会にやってくる人がいるのは事実です。
氷河さんに初めて会った2年前の夜、私は、彼もまた そういう誤解をした人間の一人なのではないかと思いました。
降誕祭の聖体礼儀の儀式が終わっても聖堂を出ていかない青年がいて、
『帰る場所を失ったので、これから行き先を決める。考えが決まるまで、しばらくここにいさせてほしい』
氷河さんは、私にそう言ったのですから。

私が彼にそれを許したのは、もちろん、その日が主の降誕祭の夜だったからです。
そんな日に、まさか行き場所がないと訴える人間を、無慈悲に寒空の下に追い出すわけにはいきません。
話を聞くと――とはいえ、彼は多くを語りませんでしたし、特に自分の身の上のことには完全に沈黙を守っていたのですが――彼が紛れもなくロシア正教徒で、ロシアに住んでいたということもわかりました。
ロシア語も流暢で――つまりは、私の同国人です。

行くところがないのなら、この教会の事務所の部屋をしばらく提供しましょうと、私が提案したのも、それを主に奉仕する者の務めと思ったからというより、懐かしい故国の香りを彼に感じたからという面が強かったような気がします。
ちょうどその部屋に住んでいた事務員が教会の前に捨てられていた猫を飼いたいという理由で、ペットを飼うことのできる部屋に移ったばかりだったので、空いた部屋もあったのです。

帰る場所を失ったと告げる彼は、実に奇妙な人物でした。
一文なしと言う割りに非常に仕立てのいい服を着ていました。
真冬にコートも身に着けていませんでしたが、決して みすぼらしい格好をしていたわけではありません。
それどころか。
後日、この教会の事務所の職員として暮らすことにしたあとに、もう使わないからという理由で彼が身につけていた上着の処分を氷河さんに任された私は、その服を以前から時折お世話になっていた古着屋に持っていったのですが、古着屋のご主人はその上着を10数万の値で引き取ってくれたのです。
購入時の値段を考えて、私は目眩いを覚えましたよ。

国籍は日本にあるということでしたが、外見は金髪碧眼、いわゆるガイジンそのもの。
当初、数日間だけ寝るところを提供するだけのつもりだった私は、彼をこの教会で雇うことにしたあとも、20歳を超え成人しているという氷河さんの自己申告を信じて、身分証明書の類の提示を彼に求めませんでした。
出会った時から、私は彼を実に綺麗な男性だと思っていましたし、今でもそれは変わりませんが、その後時々、男性というより少年のようだと思う機会もありました。

何にせよ、彼はすべてがちぐはぐでした。
着ているものは高価、だが一文なし。
これが100年前の話だったなら、私は氷河さんをロシアからの亡命貴族なのだと決めつけていたことでしょう。
その割りに、氷河さんは、下働きといってもいいような作業もそつなくこなし、まるでアレクサンドル2世の頃のバクーの石油堀りのようにたくましい身体を持っていました。
まさか彼が本当に石油堀りだったわけでもないでしょうから――現代の日本でそれを有しているということは、それが意識して鍛えられた身体だということです。

そんなふうに、氷河さんは何もかもがちぐはぐで奇妙で謎に満ちた人物です。
だからこそ、かえって、グラード財団総帥とつながりがあると言われても、どこか納得できるようなところのある人物だったのです、彼は。






【next】