パリでは、新年を祝うパーティがあちこちのサロンで催されていた。
折りしも世はロマン主義全盛。
サロンの主催者たちは優れた才能を自らのサロンに招こうと必死になり、その才能に触れて いっぱしの文化人を気取ろうとする俗物たちが、そのサロンに詰め掛ける。

ヒョウガがベルジョイオーソ夫人のサロンのパーティに出席したのは、だが、ロマン主義の詩や音楽を堪能し、パリの文化芸術と粋に浸ろうなどという殊勝なことを考えたからではなかった。
もちろん、このパリで有力者の知己を得ようとしたのでもない。
彼は人を探していたのだ。
その人に関する情報を求めて、ヒョウガは人が多く集まる場所にやってきただけだったのである。
求める情報は、残念ながらそこでは得られなかったが。

ベルジョイオーソ夫人の新年のパーティには、パリでも名の知れた貴顕が数多く招待されていた。
テーブルにつき文学論を交わす者、目当ての異性とダンスを楽しむ者、話題になっている絵画を声高に批評する者、サロンには活気があふれている。
一見華やかなその有り様を、ヒョウガは、だが、ひどく退廃的だと感じていた。

地位も権力も道徳も、自由平等の理想や芸術ですら永遠のものではないことを、彼等は心の底では承知している。
ここ20数年の激動の中で、彼等はその事実を身をもって経験したのだ。
だからこそ今を楽しみたい――今だけは楽しみたい。
“花の都”パリは、刹那主義に覆い尽くされていた。

そんなフランスに比して、ヒョウガの祖国ロシアは、既に300年以上の長きに渡ってロマノフ王朝の支配が続いている。
内乱や外征は頻発していたが、国の政体には全く変化がない。
北の大国は、変化のなさが国の至るところに矛盾と膿を溜め込んでいる。
ロシアの変化のなさも、結局は退廃を生んでいた。

周囲の夫人令嬢たちの言葉や微笑を適当に受け流しながら、急進と無変化――そのどちらが人間の健全な心の保持にはより良いのだろうかと、ヒョウガはぼんやり考えていた。
ヒョウガの周囲に集まってきている女性たちは、支配者の変わらないロシアの安定に魅力を感じているらしい。
彼女等がしきりにヒョウガに色目を使ってくるのは、あわよくばロシアの大公家の一員であるヒョウガの心を捕らえ、フランスの不安定から逃げ出したい気持ちが働いているせいなのかもしれなかった。
同情すべきことなのかもしれないと思わないでもないのだが、変わりばえのない世辞や追従にうんざりする心を、ヒョウガは自分では消し去ることができなかったのである。

ヒョウガが探しているのはフランス人だった。
遠い親戚であるカミュを通じて、あらゆる情報が集まるというパリの有名サロンに 探し人の情報を求めてやってきたが、求めるものはここにしなかった。
ヒョウガが探している人物は貴族ですらなかったので過度の期待はしていなかったのだが、だからといって この外出の無成果に落胆を覚えないわけにもいかない。

もともと出不承のカミュに無理を言ってやってきた。
欲しいものがない場所に長居をする理由もない。
さっさと帰ってしまおうと考えて、ヒョウガは、彼をここに連れてきてくれた、このパリでの彼の保護者の姿を探したのである。

カミュは、フロアの奥にある肘掛け椅子に腰をおろし、比較的年配の貴顕淑女に囲まれて、ヒョウガ以上にうんざりした顔を、誰はばかることなく周囲にさらしていた。
そんな態度がむしろ余裕や威厳に映るのは、彼が、復活なったブルボン王家より長く続いた貴族の門閥の当主であるからなのかもしれなかった。
このサロンには、彼より由緒正しい家門の貴族はいないのだ。

ヒョウガがカミュの退屈そうな様子に責任を感じ、彼にこの場からの逃亡を促しにいこうとした時。
突然、静かな、だが大きなざわめきが、パーティ会場に波のように広がった。
ヒョウガがフロアの入り口の方に視線を巡らすと、そこに、周囲を威圧するような眼差しをした一人の紳士が、いかにも尊大な風情で立っていた。






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