聖域は、知恵と戦いの女神アテナの御座所。 彼女を守り、彼女と共に戦うアテナの聖闘士たちが集う場所である。 アテナは、人間を蔑み 人間に だが、だからこそ人間たちは その神聖な場所を軽々しく侵そうとはせず、足を踏み入れることは愚か、近付くことさえも避けている。 アテナの聖闘士でもない者が聖域を訪れることは、故に非常に珍しいことで、その客人は余程の覚悟を為した上で、この場にやってきたのだと察せられた。 “一般人”が聖域に姿を見せるのは1年振り。 1年前の闖入者は、アテナの聖闘士になることを希望する血気盛んな若者だった。 が、今回の客人は、見たところ14、5歳の、まだ手足の細い少年で、どう見ても聖闘士志願ではない。 案の定、アテナ神殿のアテナの玉座の前に女神が姿を現わすと、少年はこの聖域の主に向かって、 「兄を捜しに来たんです」 と、告げた。 それが、少年の用件であるらしい。 ただの人捜しなら、“一般人”が聖域の最奥にあるアテナ神殿まで通されることはない。 アテナがそう指示したのには相応の事情があるのだろうと、女神の前で沈黙を守る聖闘士たちは推察していた。 「兄が、聖闘士になって聖域にいる――という噂を聞いて、事実かどうかを確かめるために ここまで来ました」 少年が女神の前で気後れした様子を見せないのは、彼の胆が据わっているから――ではないようだった。 彼の旅装束は埃にまみれ、彼自身も疲れきっていることが容易に見てとれる。 おそらく長いこと兄を捜し続け、巡り会うことができず、彼をここに連れてきた その頼りない噂が今の彼の最後の希望なのだろう。 女神の前で気後れすることもできないほど、彼は必死なのだ。 そして、すがるような眼差しをまっすぐにアテナに向けることができるのは、彼がアテナの前で恐れおののかなければならないような罪を犯したことがないからである――おそらく。 それがわかっているのか、アテナは、突然聖域に迷い込んできた小さな客人に優しげだった。 「瞬――と言いましたね。あなたが捜しているお兄様のお名前は何というの」 「一輝といいます。ご存じありませんか」 広間での接見には、アテナの護衛を兼ねて数人の聖闘士が立ち会っていた。 瞬の口から出てきた名前を聞いて、彼等が訝るように視線を交し合う。 だが、アテナだけを視界に映していた瞬は、彼等の目配せに気付くことはなかった。 「聖闘士たちは、父母から与えられた名ではなく、それぞれの守護星座の名前で呼ばれることが多いのよ。聖闘士としての使命を全うするために、過去の自分を捨てて、新しい名を名乗ることもあるわ」 名前だけでは、すぐに瞬の兄を見付け出すことはできないのだと、アテナが暗に瞬に告げる。 「過去を捨てて……」 アテナの告げた言葉を聞いて、瞬はにわかに暗い顔になった。 それは、日向で健気に咲いていた小さな白い花に陰がさしたような風情だった。 「他に手掛かりになるようなことはないのかしら。あなたのお兄様は、どういう事情でご家族と離れることになったの?」 横顔に陰がさした小さな花は、懸命に光を求めている。 その光を、なぜアテナはすぐに与えてやらないのかと、その場にいた彼女の聖闘士たちは訝っていた。 |