「どこが神で、どこが雪で、どこが花なんだ」
「すべてがその通りでしょう?」
「ああいうのが、おまえの好みなのか」
「僕の理想です」
一瞬のためらいもなく、瞬から肯定の答えが返ってくる。
その返事に、氷河はどうしようもない脱力感を覚えることになった。

氷河と瞬が二人きりになることを一輝が許したのは、どう考えても、彼が白鳥座の聖闘士を哀れに思ったから――のようだった。
ついに巡り会うことのできた兄の側を離れようとせず、兄に尊敬と思慕の眼差しを向け続ける瞬とその兄を、最初は憎々しげに睨みつけていた氷河が、徐々に肩を落とし、頭から塩を振りかけられた青菜のようにしおれていく様を見て、瞬の兄は哀れをもよおしたらしい。
一輝に同情されるなどという事態だけでも氷河は大いにプライドを傷付けられたというのに、せっかく二人きりになることができても、瞬は兄のことしか語らない。
これで氷河にいじけるなと言う方が、無理無体な要求だった。
目一杯傷付いて、氷河がふいと瞬の上から視線を逸らす。

「氷河?」
非力な“一般人”である自分に“特別に”優しくしてくれた氷河は、もちろん非力な一般人が兄と巡り会えたことを心から喜んでくれている――と、瞬は信じていたらしい。
氷河の素っ気ない態度に、瞬は小さく首をかしげた。

「一輝が理想だっていうのなら、俺はおまえのタイプじゃなく問題外の男だということになるだろう」
「……」
氷河にそう言われて初めて、瞬は氷河が拗ねているのだということに気付いたらしい。
一瞬きょとんとした顔になった瞬は、それから、抑えきることができなかったらしい笑みを口許に刻んだ。
「でも、人は理想通りの人に恋をするとは限らないから」
「……」

「アテナが、僕には聖闘士になる力があるとおっしゃってくださったんです。もちろん、厳しい修行が必要だけど」
「――」
「僕、父の領地を聖域に献上しようと思っています。兄さんもそれがいいって」
「――」
「僕は聖域に来るつもりです。聖闘士になります」

自分には人に必要とされる力があり、人のためにできることがある。
そう思えることは、その人間に自信を与え、自信は人を生き生きと輝くものに変える力を有しているらしい。
氷河に自らの決意を語る瞬は、昨日までの彼とは打って変わって力強かった。
声も、言葉も、その瞳の輝きも。

『守ってやらなければと思っていた。誰よりも何よりも守りたいものだからこそ、失うことを恐れ避けていた。だが、瞬は守られるだけのものではなかったらしい』
と、瞬の兄は言っていた。
『俺は弟をみくびっていた。貴様も気をつけた方がいい』
と、瞬の兄は、氷河に有難い忠告まで垂れてくれたのである。
一輝に言われるまでもなく、瞬が強い人間であることは、氷河にもわかっていた。
でなければ瞬は、もう10数年以上も前に、その瞳から素直な輝きを失っていたに違いないのだ。
強い瞬――強くて素直な瞬が、氷河を見上げ、告げる。

「僕にその力があるのなら、氷河のいるこの世界を、僕は守りたい」
「あ……」
固い決意を秘めた眼差しと声で、瞬は氷河にそう言った。
そして、その決意に対する氷河の答えを確かめることを怖れるように、視線を横に泳がせる。
「氷河に会うまで、僕は、聖闘士って恐い人ばかりなのだと思ってました。でも実際に知り合ってみたら、皆さん優しくて――」
「瞬、俺のために……?」
「氷河はその中でいちばん優しくて、いちばん可愛い」
「か……可愛い !? 」

あの一輝を『神のように美しくて、雪のように清らかで、花のように優しい』と断じて はばからない瞬である。
氷河はもちろん、何がどうなっても――瞬がその瞳から素直さと優しさを失わない限り――瞬を好きなままだったが、そのセンスだけはどうにも理解し難いと心底では思っていた。

『貴様も気をつけた方がいい』
ふいに、一輝の忠告が氷河の耳に蘇ってくる。
確かにこれは油断をしていると、瞬に二人の主導権を奪われてしまいかねない。
氷河は一度軽く舌を噛んで自分に活を入れてから、おもむろに瞬に向き直った。

「で、おまえは、その可愛い聖闘士を守りたいと」
「ええ」
「その可愛い聖闘士に抱かれる気はあるか」
「え……? あ……あの……」
それまで生気と覇気に満ちた声音で、氷河をからかってさえいるようだった瞬が、急にその自信を失ってしまったように瞼を伏せる。
瞬の頬は ほのかに上気していた。

瞬のその様子を見て にわかに胸中に自信を取り戻した氷河は、どこぞの白鳥座の聖闘士などより瞬の方がずっと可愛い――と、心から思ったのである。
自分は非力な存在で 運命に流されることしかできない人間なのだという考えを振り払うことのできた今の瞬が、即座に『嫌』と言わないのは、瞬がその運命(?)を受け入れてもいいと思っているから――だろう。
「僕、氷河が好きみたいなんです」
直接『諾』とは、瞬は答えない。
自分の内にある聖闘士になる力の可能性を知らされても、瞬は奥ゆかしさと羞恥の心は忘れていないようだった。
その事実を確認して、氷河は徐々に彼本来のペースを取り戻していったのである。

「聖域内に守るべき宮を持たない聖闘士は、教皇の間のある建物に宿泊用の部屋を与えられるんだが、おまえの部屋はまだアテナ神殿の中だな? さすがにアテナのお膝元で事に及ぶのはまずいから、俺の部屋に行こう」
「氷河の部屋――って、い……今すぐ?」
「聖闘士は迅速な行動を旨とする。善は急げだ」
「そんな……僕、まだ氷河が好きだって やっとわかったばっかりで、そんな急にあの――」
「ああ、俺もおまえが世界でいちばん好きだぞ。気が合うな」

満面に笑みを浮かべながら、氷河は尻込みする瞬の手を取り、半ば強引にその身体ごと瞬を自分の胸の中に引き寄せたのである。
その瞬間、どこからともなく、頭に当たれば確実に命を落とすだろうほどの質量とスピードを持った石塊が、氷河の頭に向かって飛来してきた。






Fin.






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