最初に口を開いたのは龍座の聖闘士だった。 「あなたの弟子は、本当に人の心を持っているのかと疑いたくなるほどにクールですよ。冷酷と言ってもいいほどだ」 彼は、私にそう言った。 「冷酷?」 そんな言葉で不肖の弟子を評された私は、自分の耳を疑うことになった。 弟子がクールな聖闘士になっていることを望んでいたにも関わらず。 そして、懸念が増した。 私は、敵との戦いに際してはクールであれと氷河を指導してきたが、仲間に対してまで冷たく当たれと教えた覚えはない。 「冷酷、とは……。仲間に対してもかね」 私は不安を隠しきれなかった。 氷河がアテナの聖闘士ではなく、チームワークを要しないスポーツのプレイヤーや芸術家であったなら、孤高を気取るのも悪くはない。 しかし、地上の平和と安寧を守るという仕事は、決して一人では成し得ないこと。 聖闘士の戦いはいつも一対一で行なわれるものではない。 共に戦う仲間のフォローがあって始めて手に入れることのできる勝利というものが、確かに戦場にはあるのだ。 「氷河を優しく親切な奴だと思ったことはないなー」 ペガサスが、あまり緊張感のない顔で問題発言――氷河の師である私にとっては――をする。 彼の声音は――ドラゴンの声もだったが――、氷河を好いている者のそれであるようには聞こえなかった。 氷河のこの愛想も礼儀もない態度では、それも致し方のないことなのかもしれない。 だが、氷河の無愛想や傍若無人には、そうならざるを得なかった事情と経緯というものがあるのだ。 そもそも氷河は集団生活・社会生活というものに慣れていない。 聖闘士になるための修行をしていた6年間は特に、クマやアザラシだけを相手に過ごしてきた。 意思の疎通・意思の伝達能力に難があるのは仕方のないことなのだ。 私はお喋りな 「氷河はいつも冷静で――クールっていうのかな。ええ、クールですよ。カミュ先生のお教えのたまものだと思います」 暗い顔になった私に、アンドロメダだけが非難の色のない声でそう言ってくれたのだが、それもどこか不自然で、とってつけたような響きをたたえていた。 「氷河は仲間内では嫌われ者なのだろうか」 「そんなことはありません。僕は氷河が大好きです」 不安に満ちた私の問いに、アンドロメダが、今度はきっぱりと ためらいのない口調で断言する。 私はほっと安堵した。 少なくとも氷河はアンドロメダには嫌われていない――仲間内で完全に孤立しているわけではない――らしいことを知って。 少し気を安んじた私は、ちらりと不肖の弟子に視線を向けた。 氷河は相変わらず無愛想な顔をして――いや、少し表情が変わったか? 氷河は、もしかしたら、自分が仲間たちに煙たがられていること、アンドロメダが自分に好意を抱いてくれていることを、今まで知らなかったのかもしれない。 氷河は昔から真正面にある目標物しか目に入れない子供だった。 敵は前方だけからやってくるものではないのだから 戦いの時には全方位に気を配れと、私が口を酸っぱくして言っても、いつも真正面だけを睨みつけている子供だった。 目標物――つまりは敵――となることのない仲間たちの感情に気をまわしたことがなかったとしても、それはさほど不思議なことではない。 ともあれ、アンドロメダの言葉で安堵することができた私に、ペガサスが横から口を挟んでくる。 「瞬は、誰でも好きなんだよ」 側面からの攻撃とは卑怯な! ペガサスのおかげで、私はまた不安に囚われることになった。 誰でも好きということは、嫌いなものがないということで、言ってみればそれは、好きも嫌いもないということ、どうでもいいと思っているということだ。 氷河に対するアンドロメダの好意がその程度のものだというのなら、私としては、これはやはりあまり安心できる状況ではない。 氷河の小宇宙が揺れる。 表情は変わらなかったが、ペガサスの言葉を氷河は不快に思ったらしい。 では氷河は、自分が人に嫌われることや好かれることを全く意に介していないというわけではないのだ。 仲間に『冷酷』とまで評された氷河は、そういった心の動きまでは失っていないらしかった。 それなりに感情の動きはあったらしいが――しかし、結局 氷河は何も言わなかった。 氷河は無表情でいることを続けた――表面上はクールに。 彼等のやりとりから察するに、つまり、氷河は、共に戦うことを拒まれるほどには仲間たちに嫌われていないが、仲間たちと特に親しんでいるわけでもない――ということなのだろう。 適度な距離を置いて、仲間たちと同じ場所にいる――ということだ。 しかし、命を懸けた戦いを共にする仲間たちと“適度な”距離を置くというスタンスは、氷河にとって、戦いを生業とする者にとって、“よいこと”だろうか? 人間にとって、幸福なことだろうか? 命を懸けた戦いを共にするということは、一つの命を仲間と共に生きているということ、仲間たちと命を一つにするということだ。 そして、戦う者が命を一つにするということは、心を――そのすべてではないにしても、心の一部を――仲間に預けるということだ。 信頼できない者に、誰が自分の命を預ける気になるだろう。 氷河は、仲間たちとの間にそういう関係を築けていないのだろうか――? もしかすると、今の氷河なら、聖域にいる黄金聖闘士たちの前に連れていっても、問題はないのかもしれない。 私の仲間たちは、私の弟子をクールな男だと認めてくれるかもしれない。 が、黄金聖闘士たちの評価はさておいて、私は氷河が心配でならなかった。 氷河は幼い子供の頃は、母ひとり子ひとりの生活をしていた。 当時は、事情があって あまり積極的に社会と関わることもなかったらしく、ほとんど母親としか話をしたことがなかったとも聞いている。 母親と死別した後はしばらく日本にいたが、すぐに聖闘士修行のためにシベリアへ送られ、そこでの氷河の友人(?)は、クマとアザラシと氷雪のみ。 兄弟子が一人いたが、それもごく短期間。 氷河は、同年代の者とのコミュニケーションをほとんど経験したことがないのだ。 これでうまく人付き合いができる人間になれというのは無理な話。 そして、コミュニケーション不全であるということと クールであるということは、全く違う次元の問題なのだ……。 |