結局氷河は、親睦を深めるために特別に特訓をつけてやろうという黄金聖闘士たちに引っ張られて、どこぞに連れていかれてしまった。 まあ、いくら生意気が過ぎる悪ガキでも、奴等も格下の青銅聖闘士相手に本気になったりはしないだろう。 私は仲間たちを引き止めることはせず、アンドロメダも微笑んで氷河と黄金聖闘士たちを見送った。 聖闘士は――氷河はクールでなくていいのだとアンドロメダは言うが、それでも 私の不安と懸念は消え去らなかった。 氷河は、氷河が唯一人愛し愛されていることを確信していた母親を幼い頃に失った。 彼女の死の責任は自分にあると、氷河はずっと思い続けてきた。 そのせいもあって、厭世的な子ではあったのだ、氷河は昔から。 私は本当は氷河が真に 私は、氷河が人の心を理解できない無感動な聖闘士になることをこそ恐れていたのだ――と。 「カミュ先生は本当に心配性ですね」 どうあっても心配顔を消し去ろうとしない私を見て、アンドロメダが苦笑する。 どうせ私はアンドロメダほどクールではない。 私は、氷河にクールになれと偉そうに指導できる資格など有していない。 アンドロメダの前で私は、 アンドロメダが今度は声をあげて笑う。 笑って、アンドロメダは言った。 「じゃあ、こういう言い方はどうですか。氷河は――聖闘士は、本当は誰でもクールなんです。人としての心を殺さなければ、敵とはいえ心を持った者を打ち倒すことはできない。だから、聖闘士は――心を持った相手と戦う人間は、みんなどこかに冷めた心を持っている。でも、だからこそ、聖闘士には 人としての心を取り戻す時間が必要なんです。氷河は、カミュ先生のこと、クールになれクールになれって弟子には言うくせに、本人はちっともクールじゃない――って、いつも言ってました。そんなふうにカミュ先生のことを話している時の氷河は、いつも楽しそうで幸せそうだった。氷河がシベリアで 人としての心を殺すための修行をしていた6年間、氷河にとってはカミュ先生こそが、人としての心を取り戻させてくれる大切な存在だったんだろうなあって、僕は思った。僕、カミュ先生にちょっとだけ焼きもちを焼いていたかもしれません」 「氷河が……」 「氷河はちゃんとわかってますよ。カミュ先生が氷河にクールになれって繰り返したのは、氷河が繊細な感受性を持っていることに気付いていたからだってこと。だけど そんなものを持ち続けていたら、戦いを重ねるごとに氷河の心は疲弊して、傷付いて、麻痺して、本当に無感動な人間になってしまいかねない。カミュ先生はそれを危惧してらした。カミュ先生は、氷河の心を守るために、クールになれっていう指導を繰り返していらしたんですよね? 氷河は、カミュ先生が望んだように、クールに敵を倒すことができる聖闘士にはなれなかったかもしれないけど――でも、その苦しみに耐えられるだけの強さはちゃんと持っています。氷河は、その強さを、カミュ先生に愛されることで養うことができたんです。だから、大丈夫」 アンドロメダは微笑んで私にそう言った。 そう言ってくれた。 不思議なもので、アンドロメダがそう言うのなら それは事実なのだろうと――氷河は、私自身が気付いていなかった私の真の願いを知っていてくれるのだろうと――私は思うことができた。 そして、氷河の無愛想やコミュニケーション能力の欠如を見事にカバーしてくれるアンドロメダという存在に、アンドロメダが氷河の側にいてくれることに、私は心から感謝した。 このアンドロメダが、氷河にとって単なる性欲処理の道具などであるはずがない。 氷河にはアンドロメダが必要なのだ。 クールで優しい、この仲間、この恋人が。 アンドロメダもそれがわかっているのだと思う。 だから、アンドロメダは、氷河の放言に腹を立てない。 氷河の無礼も不遜も似非クールも、すべては口先だけのものだということを、アンドロメダはわかっているのだ。 「今は――今の氷河には、君といる時が、人としての心を取り戻す時間なのだろうな」 「え?」 そう告げた私の声には、ひな鳥の巣立ちを寂しく見守る親鳥の気持ちのようなものが、少々にじんでいたかもしれない。 「そうだったら嬉しいですけど……」 はにかんだような表情になり、アンドロメダがほのかに頬を上気させる。 改めて間近に見ると、アンドロメダは実に可愛らしい面立ちの少年で――しかも聡明。氷河の心を読み取る能力にも優れている。 その上、強い。 どう考えても、アンドロメダは氷河や私より強い人間だった。 ならば、優しい人間でもあるだろう。 「そうだな。君がいるなら、氷河は大丈夫だろう」 クールに敵を倒すことができず、戦いのたび その心に傷を負うことになっても、傷付いたその心を癒してくれる人が側にいるのなら、氷河は幾度でも立ち上がる。 氷河が人としての心を失うことはない。 私の心配は無駄な心配、まさしく杞憂だったのだ――。 師の許から独り立ちし、彼の仲間たちと戦っている氷河を、私はもう心配する必要はないのだ。 到底クールとは言い難い聖闘士である私が仲間たちに支えられてきたように、氷河も、アンドロメダや馬鹿な芝居に付き合ってくれる仲間たちに支えられ、聖闘士としての戦いを戦い続けていくことができるだろう。 聖闘士にとって、いや、心というものを持つ人間にとって、仲間とはそれほど大切なものだ。 人は誰でも――聖闘士でも――ひとりでは生きていられず、ひとりでは戦えない。 到底クールとも賢明とも言い難い者たちだが、私にとっても、私の仲間たちは何にも変え難い大切なものだ。 私にとって彼等がどうでもいい存在だったなら、私も自身の汚名返上などということは考えなかった。 彼等の侮辱を、それこそクールに鼻で笑ってのけていたに違いない。 「不束者だが、氷河をよろしく頼む」 私はアンドロメダに軽く頭を下げ、そして、彼の手と心に私の弟子を委ねた。 アンドロメダが こそばゆそうな目をして、僅かに首を傾ける。 「まるで、僕が氷河をお嫁さんにもらうみたい」 「あんなややこしい男の世話を押しつけるのは、私としても心苦しいのだが」 「大切にしますよ。少しでも氷河を幸せにできるよう努めます。カミュ先生の大事な氷河だもの」 アンドロメダがそう言ってくれるなら――ならば、安心だ。 これまでの戦い。 傷付いても、氷河には傷付いた心を癒してくれる仲間がいた。 だから、氷河は人を愛することのできる聖闘士になることができた。 これからの戦い――おそらく永遠に続く これからの戦いも、氷河は同じように傷付くことを繰り返し、だが、人を愛する心を失わずに生きていくことができるだろう。 氷河の側には、氷河を支えてくれる仲間がいる。 氷河は 一人ではない――孤独ではないのだから。 Fin.
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