(瞬……?)
あとに残された氷河は、しばらく、瞬の姿を呑み込んでしまったドアを間の抜けた顔をして見詰めることになった。
ややあってから、後ろを振り返らずに、誰にともなく尋ねる。
「今、瞬は何と言った?」
「おまえが瞬のタイプだとさ」
「……」

星矢の答えから察するに、瞬が氷河に言い残していった言葉は、やはりそういうものであったらしい。
それは聞き違いではなかったらしい。
だが、氷河は、瞬のその言葉を素直に喜ぶことはできなかったのである。
もし自分が聞き、自分だけでなく星矢も聞いたその言葉が 本当にそれ・・だったのだとしたら、瞬の奇妙な態度の訳がわからない。
そうなると、瞬の言葉が言葉の通りの意味なのかどうかも怪しく感じられてくるのは、至極自然なことだった。

「どういう意味だ?」
何とか気を取り直し、氷河はやっと瞬以外の仲間たちの方を振り返った。
紫龍が、目を通していた『明るい農村大全集』のページを閉じて、彼の推察を口にする。
「まあ、地球とそこに生きる人間のために貢献しておごりもせず、更に人類の性根までを憂えているおまえを見て、好ましいと感じたということなんじゃないか? 今のおまえは、瞬が好意を持つのも当然といえば当然な“立派な”人間なわけだし」

「でも、それってほんとの氷河じゃねーじゃん」
星矢の指摘は、いちいち鋭い。
「それはまあ、『氷河』と『氷河みたいなタイプ』の間には、大きな隔たりがあるということだろう」
そして、紫龍の指摘はいちいち癇に障るものだった。
氷河の仲間たちはいつも、会話の相手が喜ぶ言葉を その人物に贈ろうという気配りに欠けているのだ。
そして、だからこそ彼等の言葉には嘘も作為もないといえた。

ゆえに、
「でも、ってことはさ、今がチャンスなんじゃねーの? 氷河みたいなのがタイプだっていうんだから、今おまえが瞬に『好きだ』って告白すれば、案外 瞬も拒んだりはしないかもしれないぜ?」
という星矢の勧めも、氷河に無謀な期待を抱かせるためのものではなかっただろう。
星矢はおそらく、本心から その可能性は絶無ではないと考えて、氷河にそう告げたのだ。
だが――。

「そんなセリフは、俺はもう1年も前に瞬に言った」
「へっ」
「言ったが、瞬からは『僕も』と明るく返された」
氷河は、そんな告白はとうの昔に済ませていたのだ。
にも関わらず、氷河は瞬から色よい返事をもらうことはできなかった。
彼が手に入れることができたのは、決して拒絶ではないが、さりとて欣喜雀躍できる類のものでもない、実に軽快で躊躇のない返事――つまり、仲間としての瞬の好意だけだったのだ。

だから氷河はずっと我慢していたのである。
瞬は、言ってみれば熟す前の果実のようなもの。瞬に恋を求めるのは、まだ時期が早すぎるのだと、懸命に自分自身に言い聞かせて。

「意識してのことか、無意識だったのかということの判断はさておくとして、瞬はおまえの『好き』を友人としての『好き』にすり替えてしまったわけか。はっきり『嫌い』と言ったり、『考えさせてください』なんて答えるよりは、鮮やかな かわし方だが……瞬のことだから、天然だな」
紫龍の声音には、僅かに同情の色がにじんでいる。
星矢も、龍座の聖闘士に同調して軽く肩をすくめた。

「まあさ、そのうち、機会を見てさ、おまえが、地球環境の改善なんかより、もっとこじんまりとした個人的な幸せを求めてるってことを、瞬に訴えてみるしかないんじゃねーの?」
「……」
無論 氷河はいつかはそうするつもりだった。
絶対に、いつまでも瞬の“いい散歩友だち”でいるつもりはなかった。
とはいえ、今はその時ではない。
今は、自分の思いを抑え我慢することが、瞬のためであり、瞬の意思を尊重することだと、彼は思い続けていたのだ。

しかし、今日の瞬の不可解な言動。
瞬はいったい何をどうしてほしいと思っているのか。
どうすれば、瞬を傷付けることなく、自分の思いを遂げることができるのか。
そして、そんなことよりも何よりも、そもそも自分が尊重しなければならない瞬の意思は那辺にあるのか。
氷河は今、その超根本的なところが わからなくなりかけていた。






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