翌日、夢から覚めるなり瞬の部屋に飛び込んでいった氷河は、今にも土下座せんばかりの勢いで瞬に謝りまくった。 目を真っ赤にしている瞬は、昨夜ずっと一人で泣き続けていたのかもしれない。 自分も瞬も こんなつらい思いは二度と味わうまいと心に決めて、氷河は瞬に頭を下げ続けた。 プロキオンとプロキオンの最初の飼い主のことは、瞬には言わなかった。 つらいことを忘れたいと願い、忘れることを決意したのは自分自身であって、それはあの小さな少年に責のあることではないのだ。 「夕べ――いや、その前の晩、眠っているおまえにいたずらをしようと企んで、その弾みでヘッドボードに頭を打ちつけてしまったんだ。そのショックで記憶が一部すっぽり抜けていて――忘れたいと思っていたことを、俺はすっかり忘れてしまっていた。マーマやカミュの死、彼等が俺のために死んでいったこと、全部をだ。そうしたら、俺は俺でなくなってしまっていた……」 いったい どんないたずらをしようとすれば そんなことになるのだと突っ込まれることを覚悟して、氷河は馬鹿げた作り話をしたのだが、瞬はそんなことには突っ込みを入れてきたりはしなかった。 「忘れたい――って、あの人たちの死が氷河には そこまでつらいことだったの……」 それでなくても泣きはらしているようだった瞳を潤ませて――恨み言の一つも言わず――瞬は、呟くようにそう言った。 これだけひどい目に合わされても、瞬は、自分自身の傷心より氷河の傷心に いたわりの心を向けてくる。 だからこそ――そんな瞬だからこそ――この人だけは何があっても失いたくないという思いを、氷河は一層強くしたのである。 「俺が馬鹿だった。俺は忘れるべきじゃなかった。あの人たちのことを忘れた俺は、何もかもがどうでもよくなって……あんなのは俺じゃない。俺じゃなかった……」 「うん……。きっとそういうつらい経験を重ねて、人は強く優しくなっていくんだよ」 無思慮な男を許し、そう告げる瞬は、いったいその小さな胸にどれほどの つらい思いを抱えているのだろう。 並み以上に感受性の強い瞬が自身のつらい経験を忘れようとせずにいる強さと苦しみは、愚鈍で無思慮な男の幾倍幾十倍のものなのか――。 深い後悔と共に、氷河は、あの犬のように健気な瞬の身体を強く抱きしめた。 そして、この後悔も過ちも忘れてはならないものなのだと、自身に言いきかせる。 人間の犯すすべての過ちが、いつかはその人間を真の幸福に導いていくためのものなのだと、氷河は今なら心の底から信じることができた。 「よかった……。氷河が側にいてくれなくなったら、僕、どうなっちゃうのかって不安でたまらなかったんだ。一人きりだと、何をしてても詰まらなくて――」 瞳を潤ませたまま微笑を浮かべた瞬に、氷河は、今日のうちにプロキオンの許を訪ね、その頭を撫でてこようという計画を持ちかけたのである。 途端に、瞬の表情は、ぱっと花が咲くように明るくなった。 その屈託のない――だが深い――瞬の笑顔は、氷河を これ以上ないほど幸福な気持ちにしてくれたのである。 おそらく人は、誰もがそんなふうにして幸福になっていくものなのだ。 Fin.
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