「おまえならどうする?」
瞬になら、その答えがわかるだろうか。
神以外に その答えがわかる者がいるとしたら、それは瞬だけに違いない。
氷河は、“現世で最も清らかな人間”に問いかけてみた。
「清らかな人間がいる。その者を汚さなければ、世界が滅びる。汚せるのは自分だけだとしたら、おまえならどうする?」
「汚す?」
「……“殺す”でもいいのかもしれない。その清らかな者がいる限り、その者が清らかである限り、その者は ある邪悪な存在に利用され、その者の手によって世界は破滅の危機に瀕することになるんだ」
「……」

さすがに、その“清らかな者”が瞬で、清らかな者を汚す役目を負った者が自分だと告げることは、氷河にはできなかった。
それでも氷河の相談事は、瞬には十分に驚くべきものだったらしく、瞬は一瞬 虚を衝かれたような顔になった。

それは瞬にとっては突拍子のない話だっただろう。
世界の存続や破滅などというものを考える必要もない場所で、瞬はこれまでの生を生きてきたのだ。
「その……清らかな人に罪を犯させれば、世界は救われるの?」
しかし、瞬は、その突拍子のない話の解決策を、真剣に考え始めたようだった。
おそらくは、その解決策を見付けられずに苦悩している人間のために。

「僕なら、世界を滅ぼそうとする力と戦うけど……」
あまり自信はなさそうに、瞬が呟く。
そうできたなら! ――と、氷河は心底から思った。
アテナの聖闘士たちがハーデスに勝利し、必ず人の世の存続を守ることができるという確信を抱くことさえできていたら、氷河も迷わずその道を選び取る。
だが、ハーデスは、氷河にその確信を与えてくれるような微力な存在ではないのだ。
「それでは、その清らかな者は汚れずに済むが、他に大きな犠牲を生むことになるんだ」
「……」

アテナとハーデス、聖域と人の世、そして、かつての聖戦のことを知る人間が半月以上考え続けて答えに至ることのできなかった難問に、戦いどころか人と争う術さえ知らないような人間が速やかに解答を出せるはずがない。
長く沈黙を守り続けている瞬を見て、氷河は、言わずにいればいいことを瞬に告げてしまった自分自身を後悔した。

「瞬。そんなに深刻に考えなくても――」
氷河が もうこの話は打ち切りにしようと言いかけた時、瞬が、それまで思案げに伏せていた顔をあげる。
そして、瞬は氷河に言った。
「ぼんやりとだけど、僕、自分がしなければならないことがわかった――ような気がする。僕、氷河と一緒に聖域に行きます」
「何が――」

瞬はいったい何がわかったというのか。
氷河にはそれこそ、瞬の考えが何もわからなかった。
だが、瞬の申し出は氷河にとっても好都合なものだったので、彼は瞬の提案をれることにしたのである。
アテナの命でここまで来て、結局氷河には自分の為すべきことがわからなかった――瞬を汚すことはできなかった。
こうなれば、瞬をアテナに守ってもらうしかない。
アテナは、ハーデスの力が及ぶ前に現世で最も清らかな人間に会いたいと言っていた。
アテナならきっと瞬を守ってくれる。
氷河はそう思った――そう願ったのである。






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