考え方を変えてみれば。
夜の生活を楽しみに感じる心が、昼の活動を妨げるとは限らない。
どうやら氷河に貫かれて ある一点を超えるまでは、瞬はあくまで清廉潔癖な人間であり続けるようだった。
そして、その情熱を氷河の前にすべてさらけ出し終えると、また清らかな姫に戻り、氷河と共にこの国のあるべき姿を語り合える朋友にもなってくれる。
だとしたら、二人が互いに愛し合う恋人同士でいることに、どんな支障も生じることはない。
「同性を恋するのも人間だけだ。はからずも、この恋が俺が人間だということの証明になったな」
自分は あまりに素晴らしい配偶者に恵まれた幸運に自分自身を見失いかけていただけなのだと気付くと、氷河はやがて そんな軽口を叩くことさえできるようになっていった。

形だけでなく実質的に氷河と結ばれた瞬は、人目を避け閉じこもっていた部屋から出て、公の場で氷河の隣りの席に着くことを始めた。
各国からの大使との謁見、国内の視察、氷河の赴くところにはどこにでも、そして常に、瞬は同行した。
そうすることが、ギリシャ世界における氷河の国の立場を高め強固なものにし、氷河の国の民のためになることを理解すると、瞬は積極的に その務めに励むようになったのである。

それは、クレタの万神殿の奥深くで息を潜めるように生きてきた瞬に初めて与えられた“仕事”――自分が生きていることの意義と目的を実感することのできる“仕事”だった。
瞬は、自分が男子だということを殊更に隠そうとはしなかった。
もちろん自分から喧伝してまわることもしなかったが、誰かに問われたら真実を答えるつもりでいた。
もっとも、瞬にそんな馬鹿げたことを尋ねてくる者は氷河の国にはただの一人もいなかったのだが、自然体でいることを氷河に許された瞬の心は、それだけでも随分と軽くなった。

心の枷が消えたことと、生きる目的を得たこと、恋人を愛し、愛されていると信じられること――。
クレタの神殿の奥に閉じ込められていた時には許されなかったことを許されるようになった瞬は 生き生きと輝き出し、瞬の生気の輝きは氷河をも喜ばせることになった。
何より、瞬に愛されているという確信は、氷河の心の奥深くに根づいていた卑屈の念を、少しずつ徐々に、だが確実に、消し去っていった。

氷河と瞬の変化は、二人の上だけでは留まらず、彼等の周囲の者たちをも変えることになった。
バルバロイの国の民たちは、瞬の姿を見ると、普通の人間とは異なる瞬の風情に最初は驚き、息を呑むのが常だった。
そして、その仕草や眼差しで、ギリシャ世界で最も高い文化を誇る国の高貴な姫君が奴隷の国の王を熱烈に恋していることに気付き、あっけにとられる。
その事実を知ることが、元奴隷だった者たちに自信を持たせることになった。

高貴な姫の恋する男が奴隷などであるはずがない。
ならば、かつては王と同じ場所で同じ苦しみと屈辱に耐えていた自分たちもまた、紛う方なき“人間”なのだ。
彼等は信じることができるようになっていったのである。
人間に人間として認められることで、人は初めて自分が人間だという自覚と自信を持てるようになるのかもしれなかった。

やがて、バルバロイの国の民たちは誰も 自分を奴隷だとは思わなくなった。
そして、その後 さほど長い時を置かないうちに、奴隷の国はギリシャ世界から消えていったのである。
その国は人間の国になった。






Fin.






【menu】