「まあ、もう終わってしまったの?」
出迎えに出てくれた敵を片付けた俺たちが(片付けたのは俺ではなかったが)アテナ神殿に赴き、その旨を報告すると、アテナは気の抜けた声で、まずそう言った。
アテナのその口調に大いなる不安を覚えたらしい星矢が、アテナにお伺いをたてていく。
「終わっちまった――って、あれはただの初対面のゴアイサツだろ? 真打ちはこれから登場してくるんだよな?」

星矢が期待していることは、アテナの聖闘士が望んではならないことだったろう。
本来ならアテナも、望んではならぬことを望んでいる星矢をたしなめるところだったろうが、極東の島国からギリシャまで わざわざ俺たちを呼びつけたあげくの落ちがこれなのでは申し訳ないと、アテナは思ったのかもしれない。
彼女は、星矢をたしなめることはしなかった。
もちろん星矢を喜ばせる材料の持ち合わせもなかったので、彼女は 星矢の期待に沿うこともしなかったが。

アテナの作り出す沈黙ですべてを悟り、失望と怒りのどちらに身を任せるべきかの判断に迷って、顔を真っ赤にしている星矢。
敵の弱さではなく、自分の弱さに不機嫌を極めている俺。
そんな俺にちらちら視線を投げては、顔を伏せている瞬。
そして、本心は定かではないが、唯一 平常心を保っているように見える紫龍。
そんな俺たちの前で、とってつけたような微笑を顔に貼りつけ、やがて アテナは場を取り繕い始めた。

「もちろん、彼等との戦いは ただの座興。彼等はただの前座よ。私がわざわざ あなたたちを聖域にまで呼びつけたのは、あなたたちに重大な事実を知らせるためで――」
「その“重大な事実”ってのが、氷河が失恋した程度の詰まんねーことだったら、俺はたった今からストライキを決行するからな!」
あまりに手応えのない敵に、星矢は完全に臍を曲げてしまっているらしい。
人もあろうにアテナの前で、よりにもよって俺の失恋を引き合いに出し、奴はスト突入予告をぶちかましてくれた。

「氷河が失恋? あら、じゃあ、さっきから氷河が不機嫌そうにしているのは、今日の敵が弱すぎたからではないの?」
「敵が弱すぎたどころか――氷河はその敵にやられそうになったくらいです。失恋のショックですっかり勘が狂ってしまったらしい」
「そこを瞬に助けてもらったりなんかしたせいで、氷河の奴、さっきから いじけっぱなしなんだよ」
「まあ、それは格好がつかないわね」
ほっといてくれ!
いらんことを言う紫龍たちも紫龍たちなら、それを真に受けて自分の聖闘士の不幸をからかうアテナもアテナだ。

瞬はといえば、相変わらず、俺に何か遠慮しているように、臆病な視線を投げてくるだけで――。
多分、自分の振った男が、そのせいで命を落としかけたことに、瞬は罪悪感を感じているんだろう。
それがますます俺の癇に障り、俺をみじめな気分にした。

「でも、それなら なおさら、これから私があなたたちに告げることは、あなたたちにとって重要なことよ。氷河の命が危ういことにならずに済みそうな話ですもの」
「どういう意味です」
紫龍がアテナに問い質すと、アテナは、到底趣味がいいとは言い難いあの・・ドレスのいずこからともなくメモ帳とペンを取り出し、その最初のページにすらすらと短い一文を記した。

「氷河は、瞬に、恋の告白を聞いてもらえなかったんでしょ?」
なぜ沙織さんが、俺の失恋相手が瞬だってことを知っているんだ!
普段の俺の言動を見聞きしていたら、それは確かにばれない方がおかしな話だったんだが、同性の聖闘士同士の色恋を、まるで昨日の夕食のメニューを語るよりも軽い口調でアテナに語られて、俺はひどく慌てた。
我知らず口許と目許を引きつらせた俺を無視して、沙織さんが彼女が文字を書きつけた紙を、瞬の方に指し示す。

途端に、瞬は全身を強張らせた。
その紙にいったい何が書かれているのか――。
常人の3、4倍の視力、聴力、握力、背筋力を誇る聖闘士の能力を駆使して、俺はそのメモを盗み見たんだが、そこには『みんなに知らせます』という短い一文が記されているだけだった。
沙織さんは俺たちに何を知らせるというんだ? ――と訝るより先に、沙織さんは、弱い敵との戦闘を前座にするほどの重大事を、俺たちに知らせてくれた。
それは確かに重大事だった。
彼女は、
「瞬は今、耳が聞こえていないのよ」
と言ったのだ。






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