喜んでいるのか嘆いているのか、笑っているのか泣いているのか――そのどちらでもあり、どちらでもない表情で、瞬は切なく訴えてくる。
氷河は胸が詰まった。
そして、氷河は、自身の良心の呵責を解消するために瞬に真実を知らせることができなくなってしまったのである。
本当のことを言ってしまえば楽になれることはわかっていたのだが、氷河には言うことができなかった。

氷河が瞬に『おまえは聖闘士になれない』と繰り返してきたのは、瞬のためではなかった。
瞬の身を案じたからでも、瞬の心を案じたからでもなかった。
瞬が口にできない言葉を代弁するためでもなく、もちろん地上の平和や安寧のためでもなく、仲間同士の絆を守るためでもなかった。
氷河が瞬に『おまえは聖闘士になれない』と繰り返し言い続けてきたのは、ひたすら、自分のため――自分の人生を、自分にとって快いものにするためだったのだ。

瞬に頼ってほしかったから――瞬に、“氷河”を必要としてほしかったから。
できれば、一輝よりも。
そして、瞬を守り庇う権利を手に入れたかったからだった。
その権利を手に入れれば、自分の人生が楽しい・・・ものになるだろうことを確信していたからだったのだ。

瞬が聖闘士になれなければ、『両親も財産もない孤児が生きていくには、二つの拳を鍛えて這い上がるしかない』などという馬鹿げたことを言っていた瞬の兄は、弟に失望するだろう。
しかし、氷河は、そんな瞬に失望することなく、むしろ喜んでいられる自信があったのだ。
そのために、氷河は、『聖闘士になれば、瞬はつらい思いをする――不幸になる』と考え、信じている必要があった。
自らの望みを正当化するために、氷河は半ば本気で、そうなのだ・・・・・と信じていた。

瞬は、花を見て瞳を輝かせ、瞬自身も花のようにそこにいるだけで仲間たちに――“氷河”に――力を与えてくれるものでいてくれればいい。
それが瞬にとっての幸福であり、“氷河”にとっての幸福でもあると、氷河は信じていたのだ。
二人にとって、それ以上の幸福、それ以外の幸福などあるはずがない――と。
そのために、氷河は、瞬に強くなってほしくなかったのである。

瞬には 腕力など備えず、心だけが強く優しく、姿だけが美しいものでいてほしかった。
人に守られることが似つかわしく、いつも他人の庇護を必要としているような瞬でいてほしかったのだ。
そういう瞬は、聖闘士としての力を備え その力で瞬を守りたいと願う男を必要とし、頼り すがってくれるだろう。
“氷河”が瞬に必要とされるものになるために――『瞬が聖闘士にならずに、心優しい花のまま、ただ生きていてくれること』が、氷河には最善のことだったのだ。


氷河は、自分にとっての“最善”を現実のものにするために、彼にできる限りのことをした。
瞬に『おまえは聖闘士に向いていない』と繰り返し、『戦いはおまえを苦しめるだけのものだ』と言い募り――そうすることで、心優しく か弱い瞬を手に入れようとしたのだ。
瞬がその身に聖闘士になるにふさわしい強さと力を秘めているかもしれないという可能性を、あえて無視して。
その可能性を考えないようにして。
そんなふうに瞬の心も可能性もすべて無視して我が身の幸福だけを考えていた男を、瞬は好きだと言い、共に生きたいと言ってくれている――。

瞬にそう言われて初めて、氷河は己れのこれまでの言動を悔いた。
そして、知った――気付いた。
自分が本当に欲しかったものは、自分が守り庇うことのできる か弱い花ではなく、そのか弱い花に必要とされ頼られることでもなく――ただ瞬に好かれることだったのだということに。
そのために自分は瞬に必要とされるものでなければならず、そういう状況を作るためには、瞬が自分より弱い存在であることが好都合だったのだ。
氷河は、そう思い込んでいた。
本当に欲しいものを手に入れて初めて、氷河は、自身の姑息と卑怯と傲慢に気付き、そんな自分を悔いることになったのである。

氷河は、彼の最高に幸福な人生を思い描き、その“夢”を現実のものにするために不断の努力を続けたのだが、その努力は実らず、彼の夢は叶うことはなかった。
だが、瞬は、
「僕は、氷河といつも一緒にいられる何かになりたかったの。僕は氷河が好きだから」
と言ってくれている。
氷河の人生設計は完全に狂い、瞬は、氷河のために 氷河よりも強い聖闘士になってしまった――。
予定とはかなり違ってしまったが、己れの過去の愚行を認め悔いることができるようになった氷河は、だが、今 自分をそれほど不幸な男だと感じてもいなかったのである。

『僕は『聖闘士になりたくない』っていう僕の本当の夢を叶えることはできなかった』
『でも、聖闘士になるっていう不本意な形でだけど、僕のもう一つの夢は叶った。僕は、氷河といつまでも一緒にいられる。僕の夢は叶ったんだ』――。

そんなふうに、瞬のもう一つの夢が叶ったように、『瞬に好かれたい』という氷河の本当の望みも、かなり思いがけない形ではあったが、叶ってしまっていたから。


「人生なんてこんなものか……」
氷河には氷河の夢と幸福があるように、瞬には瞬の意思と心がある。
そして、それは、決して他人が意図するようには動かない。
ある人間の心や幸福を 他人が思う通りに操ろうとしても、それは十中八九 成し遂げられない。
どんな人間も、それぞれが、それぞれの幸福に辿り着くために一生懸命に“頑張って”いるのだから、それは当たりまえのことだった。

そうして、人は、やがて思いがけないところに辿り着くのだろう。
その場所が不幸な場所とは限らない。
人はみな、幸福な場所に行き着くために“頑張って”いるのだから。

「詰まらん意地を張り続けて悪かった。よく頑張ったな、瞬」
多少 苦笑めいているにはしても笑顔を作って、氷河は瞬の髪に その手を添え、瞬を褒めてやったのである。
やっと。初めて。
途端に、瞬は、その瞳をぱっと明るく輝かせた。
その眩しいほどの輝きが、たった今 夢破れた男であるはずの氷河を、誰よりも幸福な男にしてしまう。

氷河は、己れの敗北を認めざるを得なかった。
人生は、強い者が勝つようにできているのだ。






Fin.






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