紫龍が日本に帰ってきたのは、すべてが落着してからのことだった。
1週間振りに仲間の許に戻ってきた紫龍を、星矢は早速 彼のスイカたちの許に連れていった。
野菜の栽培となったら――スイカは野菜である――紫龍の農学に関する知識は不可欠という思いもあったろうが、それより何より星矢は、彼がアテナに造反してまで守り抜いたスイカたちを仲間に自慢したかったのだろう。
星矢は、得意げに、彼のスイカたちを龍座の聖闘士に披露した。
「ほんと、こいつらを沙織さんの手から守るのに苦労してさー」

マンガを見ながら おやつを食っていただけのおまえがいったいどんな苦労をしたのだ! と、氷河が星矢を怒鳴りつけようとしているのを察し、瞬は慌てて氷河の腕を後ろに引っぱった。
そんなことはわざわざ指摘しなくてもいいことである。
「ほう。しかし、何だってこんなものを」
瞬と氷河のそんなやりとりに気付いた様子もなく、紫龍が、感心しているのかいないのか判断の難しい感想(?)を口にする。

「こんなものだなんて! 僕たち、これまで、命をかけて この子たちを守ってきたんだよ!」
星矢の苦労話は笑って聞き流すこともできたが、この命を守るために本当に苦労してきた瞬としては、その小さな命を 人に『こんなもの』呼ばわりされることは、さすがに聞き捨てならないことだった。
少なからず気色ばんで紫龍の暴言を責めることになった瞬に、思いがけない――あまりに思いがけない答えが返ってくる。
「ヘチマをか?」
と、紫龍は瞬に反問してきたのだ。
心の底から不思議そうな顔をして。

「え?」
「へ?」
瞬と星矢がほぼ同じタイミングで頓狂な声――というより音――を洩らす。
「こ……これ、スイカじゃないのか〜っ !? 」
カボチャ大王が大挙して聖域を襲撃してきたとしても、これほど混乱することはないだろうという勢いで、星矢は紫龍に問いかけていった――もとい、怒鳴りつけた。
紫龍が、飄々ひょうひょうとした様子で、無情かつ非情にあっさり頷いてみせる。

「スイカの葉とは形が違うじゃないか。これはどう見てもヘチマの葉だ」
「ヘチマ……」
そんなことを言われても、星矢はヘチマの葉がどんなものなのかを知らなかった。
もちろん、スイカの葉がどんな形状をしているのかも知らない。
星矢が知っているのは、甘くみずみずしいスイカの実の形状だけで、それは氷河も瞬も同様だった。

「ヘ……ヘチマって食えるんだっけ?」
紫龍に尋ねる星矢の声は震えている。
星矢らしくなく、その声には 力と言えるようなものが全く含まれていなかった。

「南方では食することもあるようだが――普通は化粧水に使ったり、最も一般的な利用法は、やはりタワシに加工することだろうな」
「タ……タワシ……?」
それは多分、おやつにはならない。
その事実を認識するや、星矢は、がっくりと城戸邸の庭に――地べたに――両手をつき、くずおれることになった。
星矢の消沈は、瞬にも痛いほど よくわかった。
瞬自身が、星矢同様の――あるいは星矢以上の、落胆に襲われていたから。

それがスイカでなくても、ヘチマであっても、健気な命に変わりはないと思う。
そう思いはするのだが、氷河に秘密を作り、アテナの意思に背くことまでしてタワシを守っていたのかと思うと、瞬はどうしても その事実を正面からたくましく受け入れ認めることができなかったのである。
それは、氷河のマーマの味を氷河と共に賞味するという、ささやかで切ない夢がついえてしまったことを意味していた。
ショックのあまり、星矢に続くように、瞬はその場にへなへなとへたりこむことになったのである。

「そんな……僕たちのこれまでの苦労はいったい……」
「しゅ……瞬、大丈夫かっ」
瞬を気遣う氷河の声も、今の瞬には聞こえていなかった。
どこか遠くで響いている音程度にしか認識できなかった。
「僕たちが育てたスイカの皮で、氷河のマーマの味を、氷河に……」
ヘチマの元気な緑が、瞬の視界に映る。
もちろん、その健気な命に罪はない。
だが、だからこそ、瞬は自分の中に生まれた失望をどうやって癒せばいいのかがわからなかったのである。

「氷河の……氷河のマーマの味を、僕と氷河とみんなでって、おも……思ったのに……!」
ヘチマごときでみっともないと思うのだが、あふれてくる涙をどうしても止めることができない。
「瞬……!」
氷河は慌てて瞬の前に膝をつき、落胆しきっている瞬の肩を抱いてやったのだが、それでも瞬の涙は一向に止まる気配を見せなかった。

「瞬。そんなに気を落とすな。へチマはヘチマで役立つこともあるかもしれない」
「タワシが……?」
「む……」
さすがの氷河も答えに詰まる。
ヘチマタワシがアテナの聖闘士の人生にどう役立つのか。
それは、氷河にもすぐには解明できない難問だった。
恋人の手で優しく洗われることこそふさわしい瞬の肌を、まさかヘチマタワシでごしごし擦るわけにもいかないではないか。

氷河から何の答えも返ってこないことが、瞬の瞳から零れ落ちる涙を更に大粒のものにする。
「頼むから、泣かんでくれ〜っ!」
そうして、氷河は、瞬より悲痛な叫びを健気な命たちの上に響かせることになったのだった。

この世にスイカなどという植物がなければよかったのに――と氷河が思うようになったのは、実は、この時からだったのである。
氷河は、この日この時この瞬間から、スイカを見るたび顔を引きつらせる男になってしまったのだった。


なべて人生とはそういうもの。
勝てるはずだった勝負に負け、成功するはずだった事業に失敗し、スイカが実るはずだった畑にヘチマが実る。
それが人生というものなのだ。
人生の8割は、挫折や失敗や失望、トラブルでできていると言っても過言ではない。
支え、励まし、慰めてくれる仲間がいるからこそ、人は生きることに耐えていけるのである。
多分。






Fin.






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