「シュンが好きな相手って、おまえだったんだって? てっきり浮かれて にやけて狂喜乱舞してると思ってたのに、何だよ、その しけたツラは。両思いだったんだ。大団円じゃん」 セイヤとシリュウがヒョウガの許にやってきたのは、ヒョウガの失恋が普通の失恋でなかったことが判明してから数日が経った ある日のことだった。 数日間 彼等がヒョウガの許を訪ねてきていなかったわけではなく――『誰にも会いたくない』と言うヒョウガに追い返され続けていた彼等が、無理にヒョウガの部屋にあがりこんできたのが数日後だった――という方が正しいだろう。 シュンの館では、シュンが“田舎から出てきた純朴な好青年”を傷付けてしまったと落胆しているに違いなかった。 だから、セイヤたちはシュンが恋した相手の正体を知ることになったのだろう。 シュンに相談されたか、あるいは、沈んでいるシュンから無理に聞き出して。 “田舎から出てきた純朴な好青年”の失恋に傷付いたのは、当の好青年よりシュンの方だったのだろう。 それはわかっていたのだが、シュンの傷付いた心を慰撫するためにシュンの許に行くことは、今のヒョウガには到底できることではなかったのである。 「大団円? そんなことになるか! 俺はシュンを騙して――シュンを騙して――そんなことをする必要などなかったのに、シュンを騙して――」 断りもなく他人の私室に押し入ってきたセイヤたちの無作法を咎めることは、ヒョウガにはできなかった。 彼等の不作法は、馬鹿な友人の身を案じる友情から出たことなのだ。 自分の恋を実らせるために人を騙そうなどという姑息な計算は、彼等の中にはない。 シュンに恋されていることを知ってから、ヒョウガはずっと自己嫌悪に苛まれ続けていた。 自分が卑劣な男だったことを思い知らされ、そのせいで、シュンの純粋な好意が重荷にすら感じられる。 シュンの心に応える資格が自分にないことが、ヒョウガはつらくてならなかった。 しかも、その資格を放棄したのは、他の誰でもない自分自身なのである。 これほど やりきれないことはない。 「こんな俺が『あなたに心を奪われました。初恋です。俺と交際してください』なんて言ったって、信じてもらえるわけがない」 「そりゃそうだろうな。シュンのサロンの唯一最高の憲法は『対峙する相手に敬意を払え。自らを実際よりよく見せるために、自らを偽ることはするな』だし」 「……」 その通りである。 セイヤの言う通りだった。 「まあ、いいじゃん。男同士の恋ってのはさ、いくら流行りだって言っても、やっぱり不道徳だぜ。作法どころか、神の教えに適ってない」 その通りである。 セイヤの言うことは正しい――少なくとも、間違ってはいない。 だが、神の教えが何だというのだろう。 それはシュンの心の10分の1ほどにも価値のあるものだろうか。 「そんなことは問題じゃないんだ……! 問題なのは、俺がシュンにふさわしくない卑劣漢だということだ! 俺はどうしてあんなことを思いついてしまったんだ! シュンを騙すなんて――」 どうしてあんなことを思いついたのか――。 それはもちろん、ヒョウガがシュンに恋をしたからだった。 少しでもシュンに近付きたかったから。 シュンの心を捉えたかったから。 つまり、それは、自分(の恋)のためであって、シュンのためではない。 シュンの心に、ヒョウガは全く敬意を払っていなかったのだ。 「いくら好きでも、していいことと悪い事があるのに――。俺は、シュンを思うこの心は真実だと思い上がって、俺は軽薄な遊び人なんかじゃなく誠意のある男だと思い上がって……。自分を偽って、何が誠意だ……!」 「それがわかっているのなら、潔く諦めたらどうだ」 淡々とした口調のシリュウの助言はおそらく、愚かで卑劣な男に最も ふさわしく、最も適切な助言だったろう。 だが、それができたら、ヒョウガとて苦労はないのだ。 「それでも……シュンが好きなんだ。シュンが好きだ。好きだ。シュンを俺のものにしたい。シュンに愛してほしい。シュンを愛したい。俺はもうだめだ。俺の人生はもう終わった」 ヒョウガは、半ば本気でそう思っていた。 自分の人生には もはや絶望しかない――と。 自分のように卑劣な男は いっそ死んでしまった方がいいのだと。 だが、ヒョウガを絶望の淵に追い込んでいる彼の恋が、彼を静かに死なせてくれないのだ。 シュンが生きている世界から、彼は消えてしまいたくなかった。 そして、生と恋とに向かう 浅ましい欲望が、ヒョウガの自己嫌悪を更に募らせ、絶望を招く。 これはもう悪循環の極みだった。 そんなふうに人生の苦悩に浸りまくっているヒョウガに、セイヤは呆れたような溜め息をつくことになったのである。 「まあ、おまえはまだ若いんだからさ。そんな絶望することもないんじゃねーの? シュンもそう思うだろ? 人生が終わっただの何だのって、こいつ、大袈裟すぎるよなぁ?」 「シュン……」 セイヤが口にした名の持ち主が、いつのまにかヒョウガの部屋の扉の前に立っていた。 恥ずかしそうに、困ったように、そして、切なげな目をして。 恋する人の上から視線を逸らしたいという心と、いつまでも その姿を見詰めていたいという心の間で、ヒョウガは声を失い、そして、身体を動かすことができなくなったのである。 「軽薄な遊び人って評判の卑劣漢をシュンに紹介して、そのひん曲がった根性を矯正してもらおうと思ってさー」 「あ……」 セイヤの軽口が、金縛りにあったようになっていたヒョウガの心身に 僅かばかりの自由を運んでくる。 自分の意思で四肢を動かせることに気付いたヒョウガは、その途端、掛けていた椅子から立ち上がり、あろうことか その場から逃げ出そうとした。 セイヤとシリュウが、卑劣な上に臆病な男の腕を両脇から掴まえる。 セイヤは、強張っているヒョウガの顔を意味ありげに覗き込み、得意げに人の悪い笑みを浮かべた。 「純朴で作法知らずで粗忽な田舎者の友だちを持ってるのは いいことだと思わねーか? 純朴で嘘のつき方も知らない田舎者の俺たちが、『ヒョウガは馬鹿な企みを企む阿呆だけど、それもこれもおまえに惚れたあまりにしでかしちまったことで、根はいい奴なんだ』って保証してやれば、シュンは純朴な俺たちの言うことを信じてくれる」 「……」 おそらくそうなのだろう――と、ヒョウガは自虐的に思った。 大事なのは セイヤは、その誠実を持っている。 だが、ヒョウガは、その大切なものを持っていなかった。 だから、彼は、“誠意”の手痛い しっぺ返しを受けることになってしまったのだ。 「あの……逃げないで。ここにいてください」 「シュン……」 シュンの声が 優しく気遣わしげで、卑劣漢を責める響きを全くたたえていないことが、ヒョウガをみじめにした。 シュンは、ヒョウガの誠実な友人の言葉は信じるのだろう。 だが、それはヒョウガ自身を信じることではない。 セイヤたちの友情に免じて、シュンは卑劣な男を責めることもしないのだろう。 たとえ、その不誠実を軽蔑していても。 ヒョウガは、それでも――あれほど卑劣な策略を巡らしておきながら、それでも――ヒョウガはシュンの前には清廉潔白の士として立っていたかった。 そのために、あの卑劣な計画も思いついた。 これは大いなる矛盾である。 それこそ、シュンが嫌っている“自分をよく見せようとする行為”だった。 「どうして、ヒョウガの人生が終わりなの」 強張っているヒョウガの顔を覗き込むようにして、シュンが尋ねてくる。 「俺が卑劣な男だってことがわかったから」 答えるヒョウガの声は震えていた。 「そんなことないでしょう」 自分にその資格はないとわかっていても、やはりヒョウガはシュンの澄んだ瞳の中の住人でいたかった。 「そうなんだ」 シュンの澄んだ瞳に見詰められていることができたなら、世界一卑劣な男も 世界一誠実な男に生まれ変わることができるだろう。 「もしそうだったとしても――これから誠意ある人間になろうという気はないの」 なれるものなら、なりたい。 それがヒョウガの本音だった。 それが可能なことであるのなら。 「ある人が、愚かな俺を哀れんで許してくれたら」 「ヒョウガを許せる その人が、僕だったらよかったのに」 「シュン……」 シュンは『許す』と言ってくれている。 シュンは、愚かで不誠実で卑劣な男の過ちを許すと言ってくれている。 否、シュンは既に許してくれているようだった。 シュンの瞳には温かな優しさしか たたえられていない。 「シュン……!」 シュンにこれほどまでの寛大を示されて、ヒョウガに礼儀正しい男でいろと言う方が無理な話だったろう。 野蛮人の国からやってきた卑劣漢は、野蛮人らしく、気の利いた恋の囁き一つ口にせず、彼の恋人に抱きつき、そして 力の限り抱きしめた。 「あ……」 シュンが小さな声を洩らしたのは、ヒョウガの突然の抱擁に驚いたからではなく――おそらく痛かったからに違いない。 それでもヒョウガを責める素振りは見せず――シュンはどこまでもヒョウガを許すつもりでいるようだった。 「あーあ、これって無作法の極みだろ。どこに 「作法に適った恋なんてものをしている奴がいたとして、俺はそんな人間を信じることはできないな」 セイヤの嬉しそうなぼやきに、シリュウが苦笑して顎をしゃくる。 友人たちの目の前で、作法に反したヒョウガの抱擁は終わる気配を見せなかった。 「まあ、人間は過ち多い生き物だ。互いに許し合わなければ、一つの過ちを犯した時点で、それこそすべての人間の人生が終わってしまう」 人生は やり直しのきくものである。 過ちを犯した人間が、その過ちに打ちのめされ、人生を諦めてしまわない限り。 そして、その過ちを許してくれる人がいる限り、何度でも。 それが恋ゆえの過ちなら、なおさらである。 Fin.
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