「ああ、やっぱり、こんなに散らかして」
2週間振りに帰宅した城戸邸のラウンジを見回して、瞬は長嘆することになった。
つまり、氷河は無事に、“瞬の許容範囲内で、瞬の目に余るほどに散らかった部屋”を現出してのけたということなのだろう。

「これでも、おまえが帰ってくる日だから一生懸命片付けたんだ。おかげで、ラボまでおまえを迎えに行けなかった」
「片付けた? これで?」
瞬が呆れたような顔で、ラウンジの壁際に置かれているアンティーク・チェアーを指し示す。
そこには氷河のコートやジャケットが4、5着ほど掛けてあって、高価なヴィクトリアンチェアーは氷河専用の簡易クロゼットになってしまっていた。
もちろん、それらの衣類は、氷河が今朝自室からわざわざ運んできたものである。

「ああ、それは大きすぎて、目に入らなかった」
氷河がわざとらしい嘘をつく。
それは確かに嘘だった。
「ばれる嘘つかないで。片付けようなんて、これっぽっちも考えなかったくせに」
瞬の推察は正しい。
正しいのに、完全に間違っている。
こんなこともあるのだと、星矢と紫龍は内心で、ある種の感動を覚えていたのである。
世界は、謎と神秘と矛盾に満ちている場所だと。

「これだから、氷河から目を離すのはいやだったんだ……! これから僕、24時間体制で氷河を厳しく見張るからね!」
帰宅早々、席を暖める間もなく、瞬は氷河のズボラ行為の後始末に いそしみ始めた。
それが実は、ズボラではなく、氷河の緻密な計算の成果だということも知らずに。
ぶつぶつ言いながら、コートや雑誌を集めてまわる瞬に、氷河が白々しい言葉を重ねる。
「俺もおまえがいてくれないと、周りがごちゃごちゃと物で散らかって困る」
緻密でズボラな氷河は、てきぱきと自分の仕事を片付けていく瞬の様子を、ソファにふんぞりかえり、極めて怠惰な様子で眺めていた。

「僕は、氷河専用のお掃除係じゃありません!」
瞬が、氷河を睨みつけ、険しい声で叱責する。
しかし、星矢は気付いていた。
気付かないわけにはいかなかったのだ。
氷河のだらしなさを叱責する瞬の瞳が嬉しそうに、春ただ中の太陽よりも明るく輝いていることに。

地上の平和を守るためになら 自分の命をも喜んで差し出す犠牲的精神を、その身に備えている瞬。
瞬は、いつも、誰かのために生きていたい人間なのだ。
それが人類の滅亡を救うためであっても、氷河と仲間たちの快適な生活空間を維持するためであっても、自分が誰かのために生きていると実感できる時間こそが、瞬にとっては最高に幸福な時間なのだろう。
そして、おそらく、氷河は誰よりも適切かつ確実に、瞬に幸福の時を与えることのできる男なのだ。
なにしろ氷河は、瞬を幸福にするために世界で最も努力している人間なのであるから。

恋する男が勤勉でないはずがない。
完璧に手入れの行き届いた氷河の爪を見ながら、星矢は長く深い感嘆の息を洩らしたのだった。






Fin.






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