「なにやら ややこしいことになっているようですが」 師弟関係のややこしさを全く知らないわけでもないだけに、氷河と瞬の仲間たちは その三角関係の仲介には入っていきにくかったのである。 もしかしたらアテナなら この場を丸く収めることもできるかと、紫龍は、彼の女神に一応 お伺いを立ててみた。 紫龍に問われた沙織が、泰然とした様子で 彼女の聖闘士に有難い言葉を下賜してくる。 「愛情を注ぐ対象を喪失したことによるストレスから解放されて、瞬の夢遊病が完治しさえすれば、私としては満足だし、それで万々歳よ。氷河が側にいても瞬が苦しまないというのなら、氷河にギリシャでの滞在を許してもいいし、貴鬼をつれて日本に行くのでもいいし。いずれにしても、私は聖闘士たちの色恋沙汰にまで関与するつもりはないわ」 さすがにアテナは無責任である。 もとい、彼女は彼女の聖闘士たちを心から信頼し、その自律と独立を重んじていた。 大体 予想できたことでもあったので、星矢と紫龍は早々にアテナの執り成しを諦めることになったのである。 「にしてもさ。俺たち、やっぱり、世間の常識より、俺たちの常識の方を信じるべきだったんだなー」 一人の息子でもなく、一人の弟子でもなく、一人の聖闘士でもなく、今はただひたすら瞬を恋する一人の男である氷河の姿を 安全圏から眺めながら、星矢がぼやく。 『男が男に恋することはありえない』などという世間の常識を氷河に適用していた昨日までの己れの迂愚を、星矢は今となっては信じられない気持ちで思い返すことになった。 そんな星矢に同意同感しているらしい紫龍が、同じ愚を犯していた仲間に深く頷き返す。 「そういえば、以前 老師にお聞きしたことがある。ある町にコロッケ屋が3軒あったんだ。ある店は『日本一コロッケが安い店』という看板を出した。それを見て、別の店が『世界一コロッケが安い店』という看板を出した。その2軒の看板を見た3軒目の店はどういう看板を出したと思う?」 「そりゃ、そこまできたら、あとはもう『宇宙一コロッケが安い店』しかないじゃん」 この質問に対する手本のような答えを返してきた星矢に、紫龍はおもむろに首を横に振った。 この手の質問で、“手本”が正答であることは滅多にない。 「3軒目の店は『町内一コロッケが安い店』という看板を出したんだ」 「へえ、それで?」 「もちろん、3軒目の店が最も繁盛したさ。コロッケを買いにくるのは、ご町内の住人だけなんだから」 理屈としては完全に間違っているが、消費者の心情としては大いに理解できる結果である。 星矢は素直に合点した。 「世界規模の問題に対処するのなら、世界標準に鑑みるべきだけど、青銅聖闘士の問題に対処する時には、俺たちの常識を適用するのが最善ってことか」 「星矢にしては飲み込みが早い。そういうことだ」 「その俺たちの常識に鑑みると、この状況は十分にハッピーエンドと言っていい状況だよな」 星矢の常識は紫龍の常識。 紫龍はもちろん、星矢の判断に賛同し、深く力強く頷いたのである。 「じゃあ、俺たちが あの3人に あれこれ口を出す必要はないってことで」 それが、氷河と瞬の仲間たちと すべての聖闘士を統べる女神アナテが至った結論だった。 この状況はハッピーエンド。 氷河は瞬を好きで、瞬は氷河を好きでいる。 その事実を氷河と瞬が認識し、彼等の仲間たちと女神が認めている。 これがハッピーエンドでなかったら、いったい何をハッピーエンドと呼べるだろう。 そして、ハッピーエンドに口出しをするのは悪役の仕事。 善良なエキストラでありたかった星矢と紫龍は、だから一瞬の躊躇もなく、歪んだ三角形を描いている三人に颯爽と(?)背を向けたのである。 青銅聖闘士の常識が『そうせよ』と言っているのだから、揉めまくっている氷河と瞬と瞬の弟子に背を向けることに、星矢たちは何のためらいも覚えなかった。 “常識”とは、時に、正義に対するよりも素直に従順に従わなければならない、生きるための大事な規範なのだから。 Fin.
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