「まあ。これは臨場感に溢れて表情豊かな作品ができたわね。フェイディアスが彫ったパルテノン神殿のレリーフは、残念なことに、ここギリシャではなく大英博物館に収められていて、ギリシャにあったなら素晴らしい観光資源になっていただろうと言われているけど、でも、そのフェイディアスのレリーフだって、ここまで鮮やかに人間の真情や生き様を表現した作品ではないわよ。氷河、見事だわ」
アテナ神殿の広間に突如出現した、高さ2メートル、幅15メートルほどの氷の芸術品を見やって、アテナが感嘆の声をあげる。
アテナの賞讃を受けて、氷河は彼の女神に軽い会釈を返した。

「アテナのお褒めに預かるとは光栄の極み。瞬で作るほど美しい芸術品とは言い難いが――まあ、これはこれで 人間のありのままの姿を形にしたものとしては、それなりの出来といえるかもしれない」
作品の制作者が自画自賛しつつ視線を投げた先にあるものは、11人の男たちが 思いがけない人生の逆転劇に出合って驚き、慌て、焦っている一瞬を切り取り貼りつけた立体的なカンバスだった。
人生とは、誰の人生も、驚きと衝撃でできており、その瞬間にこそ、真の人間性が現われるという事実を示唆しているような。

どういう言葉で その作品の芸術性を語ろうと、要するに それは、“間抜け”と“滑稽”の集大成としか言いようのない代物だったのだが、その作品を目の当たりにして くすりと笑うことさえしないアテナの強靭な精神力に、氷河と瞬は大いに感じ入ったのである。
そのアテナが、真顔で、
「そうね。せっかくだから、これは皆の目につくところに――しばらく聖域の入り口あたりにでも飾っておきましょうか」
と提案してくるのに、氷河と瞬は一も二もなく賛同した。

「それはいい考えですね。普段は畏れ多く感じて黄金聖闘士の顔を正面きって見ることができずにいる者も聖域には多いようですから、この機会にじっくり彼等の間抜け面を観察してもらえば、彼等も黄金聖闘士への親しみを増すことになるでしょう」
「この際、閉鎖的な聖域から 開かれた聖域への脱却を図って、この間抜けな展示物の存在を世界中に宣伝してみるのはどうだろう。我々聖闘士の存在と活動内容を世界中の人々に知ってもらうことは、聖闘士が秘密裏に邪神を一人倒すことより、人類に正義の心を目覚めさせるのには有効なことかもしれない」

「そうね。聖域もそろそろ、現代の世界情勢に合った存在方法を模索すべき時を迎えているのかもしれないわね」
アテナが本心から“開かれた聖域”を目指すことを考えていたのかどうか。
本当のところは、言ってみれば聖域株式会社の平社員にすぎない氷河と瞬にはわかっていなかった。
もしかしたら彼女は、こんな愉快なものを聖域の者たちだけで楽しむのはもったいないと考えただけだったのかもしれない。
アテナの真意はともかく、その日のうちに、氷河の制作した芸術品が聖域の入り口に運び飾られ、その情報がインターネットを通じて世界中に配信されたのは 紛う方なき事実だった。

かくして、伝説上の存在だと思われていた聖闘士が存在する確かな証として、その芸術品は一般人に知られることになったのである。
決して溶けることのない巨大な氷の棺は“聖域の嘆きの壁”と名付けられ、棺の置かれた場所は、それから1ヶ月ほどの間、パルテノン神殿以上のギリシャ観光の目玉となって、多くの観光客の目を楽しませたとか。

その氷の棺に、『人を呪わば穴二つ』と油性マジックで落書きをしたものの正体を知る者は、落書きをした当人と その恋人の他には、女神アテナがただ一人いるばかりだった。






Fin.






【menu】