昔、この地上には国境がありませんでした。 人々は争いや憎しみを知らず、すべての者たちが平和に暮らしていたのです。 人間がまだ“欲”というものを知らなかった頃。 人間がまだ“欲”を持つ必要がなかった頃のことです。 たわわに実をつける果樹や野に自然に実る野菜や穀物は 神からの贈り物で、誰か一人のものではなく、すべての人のものでした。 人間が“欲”を持つようになったのは、地上に人間が増えすぎ、そのため自然が養う食物がすべての人々に行き渡らなくなったからとも、ある人間が雑草を取り除くことで麦の実りが増えることに気付いたからとも言われています。 努力をして食べ物を集めなければならなくなった時、あるいは努力すれば人より多くのものを得られることを知った時、人の心には欲が生まれました。 そうして 欲を持つようになった人間たちは、やがて、富・権力といった概念を持ち、差別と争いを繰り返すようになっていったのです。 そんな人間たちを見て、神は、争う者たちの間に 険しい山、深い谷、流れの急な川を作ることで、人間たちが争うことができないようにしようとしました。 そうすることで、始めは一つだった この地上に幾つかの国ができたのです。 神が為した むしろ、それまでは個々人の間で為されていた争いを 国と国の争いに変えただけ。 人間たちの争いは、神の望みとは裏腹に、個々人の争いから国同士への争いへと、その争いの規模が大きくなっていったのです。 地上のあちこちで頻発する醜い争いを見て、神は大いに嘆きました。 同時に、人間たちが争いをやめ、幾つにも分かれた国々が元の一つの世界に統一されることを望んだのです。 そのために神は、人間たちに ある予言を与えました。 これより900年の間、人間たちは彼等が始めた争いの報いとして、自らが始めた争いに苦しむことを耐えなければならない。 その900年の後にやってくる1世紀。 尾が太陽に向かって流れる彗星が天に現われた時に生まれた いずれかの王家の王子が、地上に存在する すべての国を支配する、この世界唯一の王となるだろう――と。 ただし、その者は、王となって人々を統べる権利と分別を得る歳になるまで、その心身の清廉潔白を保たなければならない。 我欲に走り、自堕落に溺れ、瀟洒を好み、民を傷付け虐げるようなことがあってはならない。 もし、そのようなことを為したなら、その者は神に与えられた“世界の王になる権利”を即座に剥奪されることになるだろう。 世界の王になる権利を与えられた者が 我欲を持ち、邪心に囚われてしまったなら、地上の民は更に900年後の1世紀を待たなければならない。 2000年後の1世紀に 世界の王になる権利を与えられた者もまた同じように、我欲を持ち、邪心に囚われたなら、地上の民は更に900年後の1世紀を待たなければならない。 3000年後の1世紀に 世界の王になる権利を与えられた者もまた同じように、我欲を持ち、邪心に囚われたなら、地上の民は更に900年後の1世紀を待たなければならない。 真に清廉潔白な“世界の王”が生まれるその時まで、この地上に真の王は出現せず、真の平和もまた実現されない。 世界は各々の国に分かれ、争いを続け、民は疲弊するだろう。 世界が一つになることはなく、人々が真の安寧に抱かれ安らげる時は決して訪れることはない――。 それが、欲と争いを覚えてしまった人間たちに 神が与えた 人の世の定めでした。 神が人間たちに その予言を与えたのは、既に2万年以上前のこと。 900年の時が過ぎるたび、人々は地上に世界の王が出現し、真の平和と平等が実現することを期待しました。 実際に、尾を太陽に向ける彗星も幾度か出現し、その彗星が天にある時に王子が生まれたこともあったのです。 けれど、どの王家の王子も、王位に就くことができる歳になるまで 己れの心身の清廉潔白を保つことはできませんでした。 必然的に 地上に存在する幾つもの国々が統一され 一つの世界に戻ることもなかったのです。 人々は争いを続け、争いに傷付き、争いを悔い、けれど 争いを止めることはできず、再び争いを始め――延々と続く争いの中で、人々の心はすさみ、疲弊し、不安と悲しみを募らせていました。 誰かが富や力を得るという幸運に恵まれると、同じ幸運に恵まれなかった者たちは、彼を妬み、彼が得たものを彼から奪いました。 誰かが幸福になると、同じ幸福にめぐまれなかった者たちが彼を妬み、彼を不幸にしました。 幸運に恵まれることも恵まれないことも、幸福になることも不幸になることも、すべては空しく悲しいこと。 そんな世界で、人々は、真の“世界の王”の出現を待ち望んでいたのです。 |